マライアと姉

つい先日、ジョージ・マイケルの訃報について書いたときにマライアを取り上げたが、今日のニュースでも。

 

姉が瀕死状態なのに一切の支援をせず……マライア・キャリーが抱えるきょうだいとの確執

 

これを読むと複雑な問題で、マライアだけを悪いと言えない事が分かるね。

 




小林太市郎藝術論要約

 

昔は美学をやっているといえば、それだけで芸術家、文士、哲学者からバカにされた。戦後、新設の文学部に美学科の設置を見合わせた大学(北大、阪大等)がある中で、神戸大学は逆に「芸術学科」の名称のもと新しい学問の誕生を期待した。それに答えたのが小林太市郎先生である。(解説を要約)

 

 

小林太市郎氏についてはwikipediaで見てもらえば良いとして、芸術を掘り下げる時の基本文献がこの人の著作だと昨年(2016)月刊誌:『選択』の新連載によって知った。そこら辺の内容はBlog2に書くとして、ここでは『藝術の理解のために』小林太市郎著作集1から要点をピックアップ。

 

 

 もっとも藝術のたのしみは、じつは私にとってぜったいぜつめいのたのしみであった。それがなくては一刻も生きてゆけぬような楽しみであった。この真っ暗なわけのわからぬさびしい人生の途中で、自殺か発狂かの破局から私を救ったのは、いつも藝術であった。《略》 

 欲望はなかなか花園をつくらない。かえって地獄をつくりやすい。みたされない愛の欲望が、あくことをしらぬ名誉欲が、金銭欲が、狂おしい権勢の欲が、いかに救いのない地獄となるか、ひとはみなよく知っている。欲望は人を責めくるしめる地獄の獄卒といってよい。しかし藝術にかかると、この無慈悲な獄卒が急に一変して、世にも美しく楽しい花園をつくる園丁となる。(序文)

 

■生活と藝術

どんなにさびいし田舎へいっても、人は模様のある着物をきて、歌をうたい、祭りの太鼓をたたいて、盆踊りを踊っている。そこにすでに藝術がある。《略》人間の生活にとって重要な藝術というものが、はたして何であるか、それは人間の生活の中でどういうはたらきをしているのか、というようなことになると、人はあまり考えない。ただ漠然とそれは生活の美しい飾りであり、たのしいアクセサリーだあると思われるにすぎない。けれどもすこしふかく反省してみると、それがただ無益な飾り、あってもなくてもようようなアクセサリーでなくて、実は人間生活の最も基本的なはたらき、すなわちそれによって人間の生活がささえられているところの、その肝心かなめのはたらきにほかならないことがわかる。(P18)

 

■人間とは何か − 欲に手足の付いたもの

藝術がなんであるかを考えるためには、まず人がなんであるか、人間が本来どういうはたらきをするものであるかを考えねばならぬ。《略》 もっとも人間が何であるか、ということじたいがきわめて難しい問題であるが、たとえば西鶴の『好色二代男』には人間を定義して「欲に手足の付いたる者」といっている。《略》 しかし人間にはただこれらの自然的欲望、すなわち身体の行為をもって充たされる欲望があるのみではない。そのほかに、身体をもって充たしえない超自然的な欲望、すなわち神の欲望、永遠の欲望、絶対の欲望というふしぎな欲望があり、それがまた人をとらえてはなさない。(P19)

 

■欲望にはかぎりがないこと、

飲食を追い、金銭を追い、美女美男を逐い、神を追い、永遠を追い、そうしてついにへとへとになってその一生を終える。欲望が眼のまえにちらつかせる妖しい幻影をとらえようとして、それに引きずられ、振りまわされて、もがき苦しみ、ころび、たおれ、あがき、のたうち、泡ふき、醜態のかぎりをつくして遂に死んでしまうのが人間の運命ほかならない。(P21)

 

■欲望の自由な達成をはばむもの

かように人間の欲望にはかぎりがない。無限性ということが欲望の本質であるにたいして、その達成の道具となる身体の能力はきわめて小さく限られている。ぜんざいを思いっきり食べてやろうと欲望は意気込んでも、もう五六杯も食べれば身体の方でまずまいってしまう。愛人を思いっきり愛しようとはりきって立ちむかっても、身体の消耗はたちまちおこってくる。《略》 そういう身体的能力の制限のほかに、さらにきびしい経済的制限が、欲望の自由な達成を大幅に阻害する。(P26)

 

■満たされない過剰欲望の苦悩と藝術の救い

人間のたいていの病はそこから、すなわち抑圧された欲望から起こるのであって、《略》 限りある身に限りない欲望を担うことが、人間のあらゆる苦悩と病苦と不幸の原因となる。《略》 しかしここにひとつの救いがある。それは藝術である。藝術によって、人は満たされない過剰欲望の苦悩を、ふしぎな享楽にかえる事ができる。(P27)

 

■藝術の社会的効用

しかも藝術の享楽はただ個人にとってたのしいばかりでない。個人がそういう享楽にひたることは、じつは社会にとっても至上に必要で、それがなければ社会はたちまち崩壊する。みなが映画や小説で打ちあい、けんかし、たたかい、旅行し、恋愛するたのしみにひたらずに、そういう欲望をすべて現実の行為で満たしだしたら、いったいどうなるであろうか。もちろん社会生活はたちまち壊滅する。それを外から維持しようとするいかなる制約 − 道徳や宗教や法律や経済のいかなる制約も、あらゆる人間の欲望のこの凄まじい行為的奔出、その烈しい怒涛の勢いまえにはまったく無力となろう。

 

《略》 小説の中にはとにかく人間の本質的な欲望に訴える事実が語られているからである。《略》 それは仮空であるが、まさしく仮空のゆえに真実を説くことができる。《略》 もっとも小説、ひろく言って文学が未だ発達しない社会においては、宗教や呪術や神話伝説が主にこの機能をになっている。

《略》 たとえば音楽をみよう。ショパンの燃えるような情熱の曲に身もこころもとろかす人は、もうみみっちい現実の恋愛でその天上の至楽を汚そうとしない。ドピュッシーのほのかな、ふしぎな、はるかな夢のくにからきて魂をやさしく撫でさするような、心霊をやるせなく抱きしめるような、ただようような、ながれるような、ささやくような甘美なメロディーにふかく陶酔する人は、現実の行為がそういう愉悦をけっしてあたえないことを知って、まったく行為を嫌悪する。あるいはベートーベンの英雄交響楽で嵐のような行動の感激にくたくたになった人間は、なおそのうえに行動をしようとは決しておもわない。

 また絵画をみよう。たとえばブラマンクは暴動を起こして官庁に石を投げつける代わりに、絵具を思いきりキャンバスに投げつけて絵を描いたといっている。おかげで彼は投獄されるかわりに、なだかい画家となって悠々と生活した。ルノワールは女体を愛撫するかわりに、筆でキャンバスを撫でさすって幾多の裸婦の傑作をのこした。そして現実の肉体を愛撫するより遥かに深い快楽につねにひたりながら、すこしも精力を損せず、さいごまで若さにみちあふれて長生きを楽しんだ。ドロクロワは一生娶らず、孤高・謹厳の生涯を守ったけれども、製作の中では渦巻く情熱の嵐を奔激させている。

 

かように欲望にもっぱら造形させて、それを実際的行動に落とさないところに、絵画の藝術もまた成立する。藝術を知らない者はじっさいに行動であばれるから、自らは逮捕されて苦労し、また必ず他人を侵害する。そういうものが10人や100人のあいだはまだしもよい。大多数の人間がみな藝術をしらず、暴動や愛撫の欲望をただちに行動につうして暴れまわり撫でまわるならば、いったいどうなるであろうか。《略》 ほとんどすべての人間がみな本能的に、少なくとも潜在的に藝術家であればこそ、そういう行動過多の破壊が未だ起らず、社会も個人も今日まで健康に溌剌と生きてきたのである。(P109〜114)


 




今年もよろしくお願いします

 

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

勝手に恒例気分の新年の富士山の写真ですが、12/30に足柄山の金時山に登ってきたのでその写真。Angieのところで書いた日本1位2位の写真は天気が悪くて仙丈ケ岳まで行けなかったので。。その代わり、今までで一番綺麗な夕日が撮れたので置いておきます。

 

 

昨年は新作で取り上げたのはJavierとSlimとR. Kellyのクリスマスアルバムのみ。JaheimとSilkとマクナイトは簡単なコメントだけか。全部で25投稿なので、今年も同じぐらいのペースで出来ればと思っています。今年発売の作品で他にもご意見あれば、こちらのコメント欄におねがいします。

 

昨年は色々と大きな決断をした一年だったから、今年はその影響が出てくると思う。今までもここにHHAIを書いていたけど、R.が発売された98年のときは両極端だと思っていたけど、思った以上に両者が近づいてきた。幾ら此処がBlack Musicのレビューサイトで、もっと大きな視点でいっても芸術分野に関する個人コメントであっても、Blog2にも書いたけど芸術を客観的に定義する方法がまだあるのかもしれないと、思い始めてる。

 

以前に感動を若干クリアにしたけど、このレベルならばまだ芸術分野であってコンピューター分野には来ない。階段はアナロジーであって、建物についている階段じゃない。ストレートに書けば「Soulの階段」だけど、登る行為、下がる行為、それらによって発生する事まで考えると途端にドツボ。ここら辺をクリアにしていけば、こっちの世界に持ってこれるけど、どうせ美まで射程に入れるならば、聖と性も入れるべきだと思っている。それがMarvin Gayeが代表するBlack Musicの世界。男で性から聖にいけるのはLose Controlだけだと思っていて、あの手触りの曲がもっと増えて欲しいと思っているのは事実。そりゃ中坊のころからShaiのTogether Foreverも好きだけど、あれは最初から性要素(SEX感)が無くて、聖(清き正しい相手への思い)だけだったから。

 

 

今、94年のEx-Girlfriendというグループの作品を聴いてます。全く知らないしEn-Wikiみてやっとフル・フォースが作った妹分グループだと分かった。そもそもフル・フォース自体が00'S以降の人は知らないだろうに。グループ名自体が「元カノ」だから、「こんなグループ名つけんなよ」ぐらいの気分だし、アルバムの最終曲も13:X In Your Sexとか狙いすぎ。ただ、こういうアホな名前をつけるグループの方が、傑作の時は傑作なんだよね。03:Your For Meは緑にしたい。05:I Want Youも良い。なんていうかな、ケバすぎる女性がふっと見せる素の表情のような魅力はある。昔は、こういう良い意味でアホなグループが多かったのになぁ、と懐かしくなる部分もある。

 

昨年末はゴスペルと神概念について少し考察したけど、今年はもっとガツンと行きます。

その分だけ、ここに全く書かなくなるのか、ガンガン書くのか、今はさっぱり分からない。

ただ、今までは半分ずつの労力で両者をこなしていたけど、今年は重ねる。というか重なった。というかこれ以上、別にしておけない。

そんな感じです。




ジョージ・マイケルのこと

先日、Laurin Taleseの傑作曲:Kissing A Foolの元歌がジョージ・マイケルと知って評価が上がっていたタイミングでの訃報。そもそもラストクリスマスを歌ったワム!がジョージマイケルのグループとも知らなかったので、恥ずかしい限りですが・・・。なぜかエルトン・ジョンとジョージ・マイケルだけはBlack Musicの世界に顔を出してくる。Wikiを見るとアレサとデュエット: I Knew You Were Waiting (For Me) をHITさせたからかな。

ジョージ・マイケル個人としてはアルバムの出来に満足していたが、前作ほど所属レーベルがプロモーションに力を入れなかったこともあり売れ行きは鈍く、しかもレーベル会社のソニー・ミュージック(SME)は商業的に前作を下回った為に酷評をする(酷評したのは当時のSMEの社長、トミー・モトーラ英語版という)。これに怒ったジョージ・マイケルは、「ソニー(SME)はアーティストをアーティストとして扱わない。こんな会社ではクリエイティヴな仕事は出来ない」と、SMEを相手に契約無効を訴える裁判を起こす。

この部分にかなり感動した。このトミー・モトーラってマライアの元・糞旦那じゃん。ワム!の歌は全く知らないからコメントできないけど、Kissing A Foolを歌ったことと、トミー・モトーラに激怒した時点で評価はうなぎ登り。僕はあれだけマライアのファンだったけど、もう全然ついていけない。こういうサイトが出来るぐらいの話題になっているのも、糞旦那のせいなんだと。誰がなんと言おうと、マライアの最高傑作曲は2作目の最後の曲。そして今でも反射的にマライアのお姉さんのことを考えてしまう。ジョージマイケルはガチのゲイだったとは聞いた事があるけど、そんなのはどうでもいい。いくら相手が立場が上でも、戦うべき相手とは戦うのが男

ジョージには「ソロシンガーとして'80年代における全米No.1シングル数」(ワム!時代含む)8曲という記録があり、これはマイケル・ジャクソンの9曲に次いで2位である(フィル・コリンズと同順位)。

タイトルにR.I.P.と書くほどジョージマイケルのことはファンでは無いけど、取り上げたのは「男の鏡」と思ったから。 アレサとデュエットしたからFoolを受け継ぎ、ゲイの分だけ女性の気持ちが分かるということでいいのかな。ステレオタイプな視点だけど、一応、これが今の暫定。




クリスマスSONG

奥様に捧げるミセス・サンタクロース


R. Kellyがクリスマスアルバムを発売すると知って凄く期待していた。というよりも、今まで作ろうとしなかったことが気になっていた。個人的にはR. Kellyの幼年時代の記憶が気になる。ずっと作らなかったのはクリスマスに良い想い出が無いからであり、それはもしかしてWhy Christmasに繋がるのでは?と期待してた。聴く前からあれこれ考える作品は滅多に無いけど、この作品は別。

ところが想像以上に明るい。実質的な幕開けである03:Home For Christmasの良さ。アルバム全体にネガティブなトーンが零で、Why Christmasを期待した身としては肩透かしだけど、このHome For Christmasの良さを堪能すると、これで良かったのだと思う。チョコファク以降ならばこのトーンの作品を発表できたと思うけど、なぜここまで遅れたのだろうね。

一番びっくりしたのは04:Mrs. Santa Clausです。まさかこうくるとは。鮮やかな視点。特に曲がMarvin Gayeなんだよね。まだ歌詞を意識して聴きこんでないけど、Distant Loverの手触りを感じる。旦那のサンタクロースが世界中回っている間、家を守っている。プレゼントを買い込んで、トナカイには餌をあげて、ずっとこの日のために準備してきた。このアルバムの核がこの曲ならば、断じてカップル向けではない。

子供とサンタクロースが主役なクリスマスなのに、この視線の優しさはなんなのだろう・・・

このアルバムの全体的なトーンはチョコファク以降ならいつでも作れたのだけど、このミセス・サンタクロースを作れるようになったからこそ、今年に発売したのだ。この曲の素晴らしさをこれ以上は言葉に出来ない。

結婚していて、うちのサイトを読み込んでいる男性が何人いるかは分からない。Deepな曲を聴きこむほどに「いつまでそんな曲聴くのよ」って文句を言われていると思う。けど、この曲があれば大丈夫。この輝きと優しさこそがアフリカン・アメリカンじゃないと持ち得ないレベル。個人的には08:The Greatest Giftのタイプもナイス。一番合わないのは10:Christmas Lovin'です。もうR. Kellyこういうタイプの曲を傑作にできなくなったのだと・・・それって良いことだと思うよ。11:Flyin' On My Sleighも間違いなく緑レベルだから! ということで、これ以上の個別の曲のコメントは控えます。大事なことは全部書いたと思うから。

R.の時代に彼がクリスマスアルバムを作っていたらどんな歌世界になってたのだろう。そいうのはもう考えるべきじゃないのかもね。そんな気がした。
 

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最近、、書いた後に調べて気づく事が多い。ミセス・サンタクロースって同名曲をナットキングコールが歌っていたのか。歌詞的には内助の功そういう名前のドラマも過去にあった。そして、指摘されて気づいたけど母子家庭だからお母さんがサンタ役をやらなくちゃいけないという可能性も確かにある。歌詞カードが無い中でR. Kellyのこの曲がどういう情景を歌っているのか分からないけど、両方の情景に合うと思う。

 




なぜアフリカン・アメリカンはキリスト教を受容したのか 〜歌と犠牲〜


横浜で開催されたGLory Gospel Singersのコンサートに行ってきました。毎年クリスマス時期に各会場で開催される本コンサート。首都圏に引越した年に昭和大学で聴いて以来の2回目。流石に2回目になるとコンサートを聴きながらも色々と考える余裕が出てくる。前回(2011年)に比べて、メンバーも変わったし、人数も変わったと感じるけど(厳密に比較できるほど覚えてない)、それはいい。

昔からずっと疑問だった「なぜアフリカン・アメリカン(アメリカの黒人達)はキリスト教を受容したのか」について、ヒント得たと感じた。それが一番の収穫でした。

世界三大宗教はキリスト教、イスラム教、仏教だけど、自分が本格的にしたのは仏教だけ。イスラム教については井筒氏の本のみ。キリスト教は体系的に学んだこともないし意欲もそんなにない。まだゾロアスター教のほうが興味ある。けど、実は凄く常識的なことだけでも、答えの骨格は出てくるのだと。

今回のコンサートでは歌に合わせて歌手の背後のスクリーンに色んな映像が投影されてた。そして、一番最初かな、ゴスペル曲に合わせて投影されたのが教会の内部の写真。それも普通以上に十字架に吊るされたイエス・キリストが大きく写っていて・・・。(注:左の写真はその雰囲気を伝えるためで、コンサートで写っていた画像ではありません)

アフリカ大陸から奴隷としてアメリカに連れて来られた黒人達にとって、キリスト教は「敵が信じる宗教」ではあるけれど、その本尊はサクリファイス:犠牲者なんだよね。日本人にとっても当然のことだけど、改めて考えると異常なんだと。もちろん細部を比較すれば釈迦だって前世で己の意思で飢えた虎の犠牲になっている。けど、これは一般常識じゃないし、普通に目にする釈迦像は全然違う。逆にキリスト像はガリガリの肋骨が浮き出ていて、ひ弱で十字架に吊るされている。

もしさ、キリスト像が丸々と太って/筋骨隆々で、そこら辺の王様像のように椅子に座ったり、立ち上がって手をあげているのが普通だったら、黒人達はキリスト教なんて受容しなかったのでは?? と感じた。たとえばリオの有名な像とかね

 

 


そして歌。聖歌を黒人達がアレンジしたのが、そもそものBlack Musicの始まりだとは知っていたけど、イスラム教の知見が増えると、イスラム教には歌が殆どないことに、改めて気づいた。家に帰って調べるとやっぱりそうなんだね

ということで、あくまでも私の仮説なので、ここまでで。

 

純粋なコンサートとしては、前回(2011)に比べて男性歌手がイマイチ。以前は後半のソロパートでR&Bテイストな恋愛系の曲を歌った時に、「これだけ歌唱力があればソロでもやれる」と感じたけど、今回の男性陣は感じなかったなぁ。女性陣で上手な人はいたけれど。逆にラップのパートが新しくあって、時代の変遷を感じる。良い企画だと思ったのは「Syasin OK」でコンサートの最後の方は積極的に携帯での撮影を奨励してたこと。SNS文化なご時世としては、こうやって拡散してもらった方が動員に繋がると感じた。
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風に吹かれて と A Change Is Gonna Come

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞のニュースのタイミングで取りあげるべきだったのかも。本人がスタンスを明確にするのを待っていた。つい先日、本人のレターが発表されたので調べたら色んな事実が。

Black Musicの三大偉人の中でもSoulを司るのはサム・クック。そして彼の最高傑作であるA Change Is Gonna Comeがボブ・ディランの「風に吹かれて」に影響されて生まれたということは啓志本で知っていたけど、それ以上は全く知らなかった。こちらにサイトに詳細に書いてある。すみません、久保氏のことは初めて知りました。wikipediaでUKロック畑の人だとは分かったけど、確かにBlack Musicにも詳しい。久保氏のサイトに知りたかった事が全て書かれていると思う。

ボブ・ディランが歌っていることは黒人が人間かどうかなんかという答えなんか風が教えてくれるくらい当たり前のことだろ、お前ら、分かってんのか、立ち上がれよ、黒人のためにという強い意志で歌っているんです。
《略》
サム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」で泣けるところは映画を見に行ったら、「お前なんかが来るところじゃない」と、白人に殴られた。近くの白人(ブラザー)に助けを求めたら、また殴られた。というパート。映画なんかでよくあるシーンですよね。この歌が生まれてから、何十年も経ちますが、胸が痛くなるのは、俺はこんな場面に出会った時、本当に人を助けられるか、と思うからです。


個人的に疑問なのは、え、ブラザーって白人だったの?ホント?その解釈は初めて見たよ。だれ?そんなこと言ってるの?

昔からずっとこの歌詞の部分は気になってた。

Then I got to my brother
And I say brother help me please
But he winds up knocking me
Back down on my knees


どこに白人って情報があるんだよ? そんなのは皆無。だから、これはリスナーの受けとめ方で決まる。そして、やっぱり納得できない。ブラザーは黒人なんだと。その上で、改めて風に吹かれての解説を読む。ボブ・ディラン自身は「風が教えてくれるくらい当たり前」とは言ってないと思うな・・・。「答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ、しかも風に吹かれちまっている。」という彼の言葉の「吹かれてちまっている」の部分。「風が教えてくれるくらい当たり前」ならば「吹かれてちまっている」とは言わないような・・・。ここら辺は微妙な語感の部分だから、原文をあたらないと議論にすらならないけど。

まあいいや。この先の部分は興味がある人が、自分なりの答えを探してくれれば、それでいい。
自分自身もボブ・ディランの他の曲も聞きこんだ上で、もっと説得力のある意見を言いたいのだけど、今は出来ない。ただ、今、唯一いえるのは、久保氏はA Change Is Gonna Comeとワンダフル・ワールドを並べている。うちは違う。A Change Is Gonna Comeと並べるべきはKeep Movin' On  名曲は誰だって褒める。そこに差はでない。色んな解釈を受け入れるからこその名曲でもある。違いがでるのは、どの曲と一緒に聴くとより感動が増すか?の議論。ここは積極的に意見交換すべきだと思う。別に正しい・正しくないの世界じゃない。けど、深い・浅いの差はあると思っている。

 

どれだけロックを掘り下げ、その源流としてBlack Musicに行き着いたとしても、UKロックからくる人はワンダフル・ワールドか。言われて見ると、なんとなくその発想は分かる。そして、本当の部分では直接Black Musicに行く人とは違うと感じる。

 

ボブ・ディランのノーベル文学賞拒否というような大きな事件のときは、やっぱり哲章さんの意見が知りたい。

素直な気持ちとしては、これだけです。


 




Laurin Talese - "Gorgeous Chaos"

《爽やか》とは《愚かさ》への視座



shohさんが絶賛するなら聴く。
フィラデルフィアで活動する女性シンガー、ローリン・タリーズのデビュー作『Gorgeos Chaos』がめちゃくちゃ良い。しなやかで表現力豊かな歌声を生演奏で引き立てた、今年屈指のヴォーカルアルバム。ちょうど日本盤が出たのでぜひ!!

JazzとR&Bの中間地点のような作品で確かに傑作。歌手の能力も歌自体もバックの音も文句ない。けど、それよりも感動したのは08:Kissing A Foolの歌世界。

爽やかな女性像とは?
爽やかな男性像には拘っても、女性像についてはあまり考えてこなかった。もちろんSadeを筆頭にTerry EllisやAdriana Evans。今になってもすぐにAngel Grantも思い浮かぶなぁ。彼女達は爽やかというよりも「オシャレ」という言葉紹介していたけど、もちろん爽やかだと思ってます。このTaleseが凄いのは、アルバムの最初はある種の重さも感じるのに、8曲目以降は彼女達の作品と同じレベルの爽やかさになること。

 

Sade達の作品も当然傑作だけど、基本的には全編が爽やかだった。それは素晴らしいことだけど、重さと爽やかの両方を感じて、かつその中心点にKissing  A Foolという曲を持ってくるところに感動している。

爽やかな女性が重さを身につけるためにも
重い女性が爽やかさを身につけるためにも


これは奇跡といっていいかも。今年のJavierを大絶賛したけど並ぶかもしれない。女性歌手がFoolについて歌うこと。この価値を知らなかったらBlack Musicの初段にすらなれない。まさかFoolをこういう風に見詰めるとは・・・ これが女性特有のアプローチなのか、男性でも通用するのか、それすら今は分かりません。Soulの女王アレサが表現したFoolの流れを太くしたMaryJ. まさかそれをKissingとアプローチするとは。そんなことが有りえるなんて、今まで全く想像すら出来なかった。feat. Vivian Greenだからかも。Beautifulという傑作を歌ったVivianの軌跡は確かにFoolに相応しい。

 

あれ?なんか、これって、Vivianと比較すると流石に爽やかを感じるっていうだけのオチ?

それって、「ホトジェニックが弱い友達と一緒にコンパに行けば相対的に美人に見える」と同じ文脈? うーん、ここまで考えるとTaleseを褒めているのか自分自身も分からなくなってくるような・・・・。

 

フィラデルフィアという場が持つ価値

同じ過ちを繰り返さないことが大切で、VivianのFoolを十二分に咀嚼できたからこそアルバムの後半部分の爽やかさに繋がった。そんな意味では、大切なのは反面教師の先輩? うーん、なんか普通の結論に帰着してちょっとショックですが、、、根本的にいいアルバムだよ。8曲目のFoolを軸にして両翼が広がってる作品。その中心部分を、自分独りで捕まえたのか、先輩のフォローがあったのか、それって、本質的にはどっちでもいいんだと。Taleseに器があるからこそ受けとめれるのだから。

 

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知らなかった。Kissing A Foolはカバー曲で、オリジナルは1988年にジョージ・マイケルが発表とは。。。

最初に書いてからFeat. Vivianと知って、ちょっと感動減衰。そして、このタイミングでカバーソングとは。Youtubeでジョージマイケルの元歌を聴いたけど、こちらの方が上だと思う。それはVivianの声につきるのかもね。そういう意味では09:Made Up My Mindの爽やかさと明るさの方がTaleseの良さが全開と言えるのかも。

 




21:03 - "Twenty One O Three"

10代最高のSorry



06年デビューの3人組。全く知らなかったけど、半年前にSoulATFさんのチャンネルで知った。En-WikiではGospel&Hip-Hopと書いてあるけどメインはR&B。3人組なのにコーラスのレベルが高くて素晴らしい。本作発表時の年齢は分からないけど、どうみても10代。なのに04:I'm Sorryが傑作すぎる。中古が3000円を越しているのも納得。他の曲のレベルも高い。これまでも色々とSorryの曲を聴きこんできたけど、10代では間違いなく最高。自身が10代の時にこの曲がなかったのがショックと思えるならば、それは一つの判断基準。もしこの曲を聴けていたら、誰にどのタイミングで謝るべきだったのだろう?まで考えはじめると、軽く連続リピート1時間は経過する。

何よりも曲の終わりのリードの吼えっぷりがいい。これだけ吼えれれば文句なし。単に「プロデューサーに渡されて歌ってます」というレベルじゃない。Sorryという想いと、若い時しか持ちえない勢いとの交じり合いが心をうつ。歳を重ねたあとのSorryはどうしても湿度が高くなる。この時期だからこそ、湿度30%でSorryを全開にできる。

リード1人を2名が支える構成でない。3人とも自由にアドリブを入れている。そこもナイス。とくに、NeverNerverと入れているメンバー。いいっすよ。君の将来は俺が保障する! とまで言いたくなるぞ(笑 己の10代にSorryが必要ない人は完全対象外。Sorryが必要ならば死んでも聴くべき、というレベルまで達している。そして、その人なら、この曲だけでお腹いっぱいという気持ちも伝わるだろう。

ということで、他の曲の紹介はまた今度。

 




暖炉とBlack Music

これまで「リスニング環境」では自作スピーカーに拘ってきたけど、部屋の空間として、照明は無視できない。蛍光灯の白い光で満足できる人は根本的にBlack Musicのファンじゃない。R&Bを聴き始めた中学時代から間接照明を試行錯誤(自作とか)して来た身として、やっと究極の照明を見つけた。詳しくはBlog2で書いたけど、ここではこの光に合う音楽についてコメントしてきたい。

 

基本は冬だから、冬コーナーでいいのだけど、突き詰めればもうちょっと先に道がありそうな。

ということで、とりあえず今回はBlog2の記事の紹介までで。




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