Backchorus Doctorine:バックコーラスの新原則

いまはTinasheだけが気づいていること


BoyzIIMenのクリスマスアルバム
MaryJ.のMy Life
久保田の本国挑戦2作目

バックコーラスとメインボーカルの関係性において、いままで3つの重要な作品があったと思ってる。これらは全て奇跡の組み合わせ。けど、Tinasheは気づいている。なぜそう断言できるか。本人の多重録音で達成しているから。上記3作は本人の多重録音じゃない。

視線の角度を音楽のパーツのひとつとして扱う
Tinasheは「視線の角度」という単語は使っていないだろうね。もっと音楽寄りの言葉にしているのかも。いや、言葉にすらしてないのかも。作曲中にリズムを作っているときに手先が動いたり、つま先が動くのなら、この部分は首の角度かな。本サイトの深い文章ほどそういう風に書いてきているから。

もともとマルチの才能を持ち合わせてなかった売れないアイドルが、音楽の道に進むために部屋に機材買い込んで四苦八苦する中で見つけたのだろう。凄くシンプルに乱暴に言えば、これが全て。売れないアイドルから脱皮して歌姫になったといえば真っ先に華原朋美を思い浮かべるけど、彼女は可哀相なほどに小室の歌人形だった。

まさか生きている間にこんな時代がやってくるとは。だから人間は長生きするべきなのだ。ドクトリンレベルのものは2011年に書いたシャウトの正統性以来か。あの時も気づきは2005年にあった。このバックコーラスについても2002年に書いてる
けど、そういえばバックコーラスと喧嘩腰のリードって余り無いなぁ。一辺聴いてみたいぞ。「あんな女さっさと辞めちまえ」「うっせー、そんなの分ってるけど、でも好きなんだよ」で喧嘩しあう曲って結構見てみたいなぁ。個人的にはいつも客観と主観の間で衝突してるからかな。Tommy Simsのあの曲からは、この感覚を受けるけど、あれは音であって、バックコーラスじゃないもんね。

もともとはメインの詞をメインボーカルが歌い、バックコーラスは「Ohh」とか歌っていた。
一番最初にそこを逆転させたのはMaryJ.のMy Life。それを「歌が下手だから」とか「Hip-Hop-Soulだから」とか説明する人達は多い。けどこれって結果論でしょ。順番間違ってるよ。あまりのショックに歌えないから、レコーディングの場でしょうがなく入れ替えたんだと思う。バックボーカルがどんどん手を差し伸べて、その支えを受けてどんどん地面を掘る。有り得ないレベルのうめき声。普通ならバックコーラスが支える上を明るく舞うのに。
最初のうちは、バックコーラスも大してMaryJ.を認めてないと思っちゃう。けど、曲が進むにつれて「MaryJ.を支えなくちゃ」という表情に変わる。そして最後はMaryJ.が前人未踏の世界を切り開いてるのを認めて、かしづいているようにさえ思えてくるや。
7:My LifeからMaryJ.のボーカルが伸びる。ドンドン上手くなっている。それは出すべき感情がボーカル能力を押し広げてるようにも思える。8:You Gotta Beliveから明らかにバックコーラスの表情が変わる。MaryJ.を支え始めてる。特に曲の途中でK-ciのMaryMaryという声が入った後のMaryJ.のボーカルの伸びは凄い。この時点でバックコーラスの女性が全員従う気になったかのようだね。


ここまで体感できなければSoulのリスナーじゃない。Hip-Hopソウルありきで考えちゃだめ。本当にここが分かっているならもっと分解できる。いま、MyLifeを聴きながら書いてる。バックコーラスの女性が従う気になった場所をピンポイントで時間指定する事。上記の「この時点」がどこを指しているのか。ちなみに8曲目じゃないからね。真の傑作を聞き込むにはそこまでやらなくちゃいけない。ここまでやれば本当に辛い時にこのバックコーラス隊が僕らの心の中にも登場してくれるから。そこまでやって前を向き続ける力が生まれる。

 


バックコーラスとの関係性でいえば久保田の本国挑戦2作目も大切。
どれだけ、バックコーラスから本気を引きだせるか?
歌手の能力を測るR&B的モノサシの1つにこれがある。ソロシンガーはバックコーラスを使って厚くするのは、もうR&Bの常識だから。だからこそ歌手は彼らの本気を引きださなくちゃいけない。その点でこのアルバムは後半になるに従って、かなりのレベルになってる。バックで歌うアフリカン・アメリカンから本気を引きだせるようになれば文句無しだよ。特に12とかさ。5から純度が上がって、10から最後までは良曲そろい。日本人の挑戦の最高点でなく、純粋なR&Bとしてかなりのレベルになってると思う。もし全く何も知らないアフリカン・アメリカンがこれを耳にしたら、素直に気に入ると思う。先入観無しに聴けば伝わる、そして気に入る。彼はもうそのレベルだよ。

 

「彼は日本人だけど黒い」と認められること。それは大木トオルがブルースの分野で達成したこと。数年ぶりに本作品を聴きながら書いてる。やっと分かった。本当のポイントはI Just Can't Get Enoughなのだ。せっかくShameでバックコーラスを上手に使っているのにこの曲では抑制的。ここではバックコーラスから入ってもいいぐらい。最初のI Just Gan't Get Enoughをバックコーラスに歌ってもらう。それでこそ開く扉がある。久保田相は可哀相なぐらいに一人でもがいてる。曲のタイトルから当然だろ、と言われそうだけど、それが常識の枠。It's Overは上手くバックコーラスを使ってる。これぐらいの厚みをI Just Can't Get Enoughで使うべきなのだ。

 

 

それでもこの二つの作品はメインとバックは同じ方向のベクトル。真逆はWhy Christmasだけ。
この曲:Why Christmasが必要な子供なんて1%ともいないと思う。けど、明らかにこの世にはWhy Christmasと思う子供はいる。この歌を収録にあたって、他のメンバーはかなり逡巡したんだろう。それは最初のバックコーラスでの最初の"Why Christmas"フレーズを聴けば良く分る。このサビのやる気の無さといったら、滅茶苦茶だよ。そのバックコーラスを受けた後のウンヤは、1st Verseでの押し殺して淡々としたボーカルから一転して吼え始めるのがたまらない。
だからこそ俺はWhy Christmasと叫ばなくちゃいけないんだ!!
BoyzIIMenの歌詞世界で「僕」じゃなくて「俺」が合うのはこの曲だけのような気がするよ、、、、ここら辺からウンヤが吼えまくって、WhyWhyと捻りこみ始めるもんね。それでバックコーラスもやっと目が醒めたかのよう。やっと支えを受けたウンヤは哀しみを絞りだす。"No Toy" "My Sister"と歌いはじめる3:10台。ヘッドホンでガンガンに聴く1番の意味はやっぱりこのフレーズを追っかけたいから。

 

Tinasheはどれだけこの曲を参考にしたのかな。とりあえずアクエリアスとジョイライドを聴く限りだとあまり幼年Deepは引っ張り出されない。だから聴いても肌に合わないかもね。それでも彼女は「同じ方向のベクトルだけじゃ足りない」事実を気づいている。もちろん声同士でなければTommy Simsも気づいている。けど、不思議なことにTinasheだけは順方向でも逆方向でもない角度にしてくる。これって、初めてなんだと思う。

----
ごめん、1時すぎた。寝ます。
当分、このままにしておく。
ジョイライドのどの曲でどれだけの視線の角度をずらしているか。
それは皆さんに聴きこんでもらえばいいと思うから。

久保田のアルバム聴いてて痛感。3月末まで更新停止だ。Blog2も。
これでやっと「好き勝手なこと言ってる」状態を抜けれる。本当は、ずっとあの文章を書いたときからそれをしたかったのだ。やっと準備が揃った。

0



    コメント
    コメントする








       

    All List

    Categories

    Selected Entry

    links

    recent comment

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    みんなのブログポータル JUGEM