Marvin Gaye - "Here My Dear"

「お前でもダメならば全員無理なのか」



古くは海外の芸術作品に全て日本語名をつけていた。例えば映画:"Unforgiven"⇒『許されざる者』は直訳に近いけど、"The Way We Ware"⇒『追憶』は名訳。この作品は"Here My Dear"だから『此処に俺の想いがある』が直訳になるけど、アルバムを聴くとこんな言葉では表しきれない想いに満たされる。離婚した奥様アンナへの慰謝料を払うために製作し、Anna's Songという曲まであるのだから、『離婚伝説』で日本人全員が納得。けれど『輪廻』まであるとは・・・これは無茶苦茶な訳だけど、それでも納得してしまうレベル。

Black Musicにおいて最深部を規定するもの。
90年代ならばR. KellyのR.とMaryJ.のMy Life。
70年代ならばStevie WonderのAll in Love is Fair(以降ALFと略)と本作になる。それだけの射程を持つ作品だが、大多数にとって本作は傑作でなく問題作。Marvin Gayeの傑作はWhat's Going' OnとLet's Get It Onが世界の常識。だからこそこの文章を書く。『輪廻』と名付けた人は分かっている。その人のレビューを読みたいのだが手に入らない。Stevie Wonderと同じだけBlack Musicを代表する歌手だからこそ、本作もAFLと同じレベルの光があたるべき。

本作が問題作になっている絶対的な理由は、アルバムのコアがAnna's Songで、その中でもサビでAnnaと叫んでいるから。この曲を1回聴けばその日は終日ブルー。3回連続すればどん底よりも発狂に近くなる。Marvin Gayeがそんな状況で発した叫び。それが生の状態で収録されている。けれども実はALFと近い位置にある。その視線を持てるかどうか。

極限までAnnaを非難している
一般的な受けとめ方はここ。だからこそ膨大な感情の森の中に迷い込む。ちがうんだよ。Annaと叫んだ瞬間に自己を非難しているんだよ。あのAnnaという叫びは最後の甘え。それが伝わるかどうか。こんな無茶苦茶な甘えは誰にも伝わらない。Annaさん本人にも絶対に伝わらない。

誰にも届かない甘えを抱えたままMarvin Gayeは死んでいき、そして来世をやり直すのだろう
どうしようもなく伝わってくる今生では解けない隘路。だからこそ輪廻でありKarma。黒人達がKarmaと歌うこと。キリスト教は原理的に輪廻を認めない。なのにこれだけKarmaというタイトルの曲が発表される。時代が進んで宗教観も混じってきているのは、良いことなのだろう。
 

本アルバムの最初は凄く聴きやすい。アルバムタイトルでもある01:Here My Dearは「みんなこちらにおいでよ」とミッキーがディズニーランドの前で、ドナルドがマックの前で誘っているような感覚。このジャケと同じで、Marvin Gayeおじさんがめくりめくる歌遊園地に誘ってる。この恐ろしさ(笑

こんな感覚で入って来たリスナーを02:I Met a Littele Girlで捕まえる。タイトルどおりの幼年時代の輝きが見える曲。「入場した客にすぐにバルーンやソフトクリームをプレゼントして囲い込む」ような手法。大ヒットを何作も生み出すだけのことはある。こうやってリスナーを奥に奥に誘い込んでいく。単純に「良いモノを作ればよい」と思っているクリエーターとの絶対的な差。

04:Angerから危険信号が鳴り始める。道路を歩いていたら「この先注意」の看板。信号機でいえば黄色に変わる。一番恐ろしいのはAnna's Songは曲の始まり方が緩やかで大人しい。最初からMAXテンションで始まるALFと違う。あの曲はサビから始まる構成だから心して聴ける。本曲は不思議な始まり方。This is Anna's Song→「この曲はAnnna's Songです」まるでコンサートで新曲を紹介するときのよう。曲全体もなめらかなメロディーと声で自然に聴きやすい。途中にガツンとAnnaと吼える部分。そこにさえ眼をつぶれば聴けない曲ではない。だから本気で向き会わなければ流して聴ける曲。そこに感動はないけど安全はある。感動を得ようと思って聴きこむほどに暗黒地帯にいくけれど。

生の感情をそのまま出すのは、芸術にならない
タイトルに個人名をつけるほどにアウトだし、曲のサビでも個人名を叫んでいる。でも、それ以外は客観性をKeepしている。逆にAFLは、タイトルや歌詞は客観的だが、メロディーも声も最初から最後まで生の感情が溢れてる。だからこそこの2曲が最深部。そして両者はほとんど近い場所にいる。それが壱を突き詰めた叫び。ここまで気づくと暗黒の最深部に輝く光が見える。 

Stevie Wonderは壱の果てのALLを見せて
Marvin GayeはALLの直前の壱を見せる


10:When Did You Stop Lovin Me,,は3曲目の再録。だから本作品は実質的にAnna's Songで終わる。13(a)のFall in Love Againは次の作品に収録されるべき曲。これを本作に収録したのはMarvin Gayeなりのリスナーに対する思いやり。それがI Want Youにつながる。I Want Youは世界が認めるMarvin Gayeの傑作。数多の歌手がカバーする。けど、あの曲のWantと叫びながらも爽やかな疾走感は誰も真似できない。あの曲は本作の先にある。本作の深さを共有できない歌手が歌える曲じゃない。唯一はMaruriceJ.だけ。もうコアなBlack Musicファンしか知らないMauriceJ.だけど、彼の作品はI Want Youのパーフェクトカバーという一点をもって歴史に残る。この先もAnna's Songのパーフェクトカバーが在りえない以上、What's Goin' Onが9.11の追悼ソングとしてアメリカ国民全員で歌うからこそ、MauriceJ.が光る。

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改めてジャケを見る。ギリシャ風の建物の前に立つMarvin Gayeの銅像。奥にはロダンの接吻がある。ロダンはカミーユを知らないと本質を捉えるのが難しい。2人の女性の間で揺れ動いた点ではアンナとジャニスのMarvin Gayeと同じだね。ロダンが造った男女の恋愛の最高傑作がこの接吻。これが世界の常識だからこそ、本作にも接吻の像を入れたのだろう。しかし、この曲に合うのは接吻ではないし、ロダンの本質も接吻ではない。何が本質かは評価軸で変わるし、己の人生でも変わる。

 

このHere My DearがMarvin Gayeの中で一番深いとみなすならば、ロダンの中で一番深いのはフギット・アモール。『去りゆく愛』という日本語訳があるが、これは正しくない。フギット・アモールの英語訳はHere My Dearが相応しい。それでもフギット・アモールの日本語訳は離婚伝説でも輪廻でもない。イコール=は単純に連結する訳ではない。それが人間が生きる世界だから。
 

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