ロックが分化していく前の

 内田裕也に全く興味なかったし、お別れ会で長女が「安らかに眠るな。just Rock'nRoll!!」と言ったのを夜のニュースで知っても、「親に合わせて娘もか」ぐらいにしか思わなかった。けど、そのあと答辞を絶賛する記事が出て全文を読む気になった。確かにこれは物凄く良い文章
いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢(むく)な存在
とか、それぞれの段落に輝く表現がある。著名なヒット曲が無いと聞いてたから「ロックンロール」というたびに違和感だったけど、この記事を見ると内田裕也が成してきたことが分かる。銃口に花束を、戦争ではなく愛をーー当初は左翼的なティーンの理想主義と共にあり、またその具現化でもあった。それでも内田裕也は、その英語圏を中心とした学生の美学と社会的な意識が畳み込まれたコンセプトを、日本という国に持ち込む際に十分な美意識と才能を持っていた。
という褒め言葉の凄さ。褒められた内田裕也も凄いし、この文章の著者も凄い。こういう文章を読めるだけで良い週末なんだと思う。

こちらの記事も良いんだよね。
内田はマスターテープを持ってアメリカの名門アトランティックレコード本社に単身向かい、契約を獲得する。1971年4月、「SATORI」はアトランティックレーベルから、アメリカ、カナダ、日本で同時発売という快挙。ヨーロッパでもシングルがリリースされた。ジョー山中のハイトーンボイスと石間秀樹の超絶ギターを核とするFTBは欧米で高く評価され、シングル「Satori Part 2」はカナダではトップ10に入るほどのヒットとなった。日本のロックが「ロックとして」初めて海外で成功を収めた事件と言っていいだろう。FTBはしばらくカナダに渡りアルバム制作やフェスティバルに出演し人気を博したが、1972年に帰国した内田は日本の状況に大きく落胆したという。FTBの海外での活躍はあまり伝わっておらず、当時の日本は吉田拓郎に代表されるフォークブームの真っ最中であり、共演が決まっていたThe Rolling Stonesの来日中止など、ロックには不幸な時代が続いた。
マジかよ。。日本でのヒットなんてまったく関係ない。誰だよ?ヒット曲が無いなんて言ったアホは。日本よりも海外で認められたと言えよ。

極めつけは島田陽子の言葉
wikipediaには映画『花園の迷宮』で共演した島田陽子と不倫していたが後に破局(DVもあった)。さらに内田が1991年東京都知事選挙に出馬した際、島田は内田に選挙カーを提供するなどの支援をしたが、この際方々から数億ともいわれる膨大な借金をし、破局後それに関するトラブルを多数引き起こしてしまい、現在に至るまで尾をひくこととなり、女優としてのキャリアに大きく影響したとまで書いてあるのに、そこまで褒めるのか。。あまりに引用が増えるのは良くないので、彼女の記事からはもって来ませんが、ほんとに読む価値がある。

wikipediaを読んでもそこまでポジティブな印象はうけなかったけど、これらの記事を読むと内田裕也の真の価値が伝わってくる。そもそも不倫とか愛人とかいう枠組に置くのが間違っている。音楽についても、このジャケの良さ。ジャケ買いできるレベル。座禅してる東アジアの修行僧の絵がナイス。二面性があり、奥には確固たる内向性があることが良く分かる。日本のロックを聴いても、このアルバムを聴いた事ない人は掘り下げが足らないんだね。久保田のあのUS盤を聴かずしてJ-R&Bとか言ってるレベルと同じなのだろう。

これだけ良質な情報を読むと分かる。
内田裕也はロックがBlack Musicから分化する前の状態が見えている。
 ロックを「ティーンの反抗」としか捉えてない人達と違う。

だから、どれだけエレキとボーカルのぶつかりあいが合わなくても、いつか聴かなくちゃね。

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それにしても最近、すぐにアクセス狙いのまとめ記事が増えるけど、そこで満足すると纏め記事を作った人以上の理解には行かないのを痛感。「深堀する」と決めるときの感性だけは磨かないとなぁ。今回はほんと探して良かった。


きききりんの態度がずっと謎だったけど、彼女は再婚なのか。なんかひとつ腑に落ちた。




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