たけしのお笑い・芸術論

■センスはどこで養われるか

芸人としてのセンスは教えられるものじゃないけど、育ってきた環境というのは大いに関係がある。

 おいらの家なんか落語に出てくるような下町の長屋で、そこでいつもおふくろとおやじがじゃんじゃん口ゲンカしていた。うちの母ちゃんの口の速さと笑い話の上手さは、こういっちゃなんだけど、志ん生そっくりだったし。

 横浜の緑山みたいな戦後の高度経済成長期になって宅地開発されたような、いわゆる新興住宅地に生まれ育った奴とはそこが違う。隣近所と大きさも形も変わらない家がズラーっと並んでいて、満員電車に乗って都心まで毎日働きに出ているお父さんと、料理と園芸が趣味のお母さん、両親ともギャグのひとつも言わないそんな家庭で育った奴が芸人としてのセンスを磨けるかというと甚だ疑問だね。

 もちろん個人差はあるけど、そんな家に育ったら、そもそも芸人になるとは思わないはず。たまたまテレビで漫才を見て、「これは面白い!」と芸人を目指そうとしても、その時点で大きくハンデがついている

 《略》

 それは役者でもアイドルでも同じで、どこか影のあるような奴の方が芸能界に入って伸びる。山口百恵や中森明菜、小泉今日子とか。

 生まれや育ちはよくなかったけど、でも楽しいことがしたい。自分の手でそれを叶えようという理想に燃えているから、あきらめない。それはやっぱり強い。成功してからその影に引き戻されて、消えていっちゃう奴もいっぱいいるけど。

 だから金を払って、お笑いや芸の勉強をしようという考え方自体が、やっぱり新興住宅地的な考え方なんだ。中学受験のために揃いのカバンを背負って塾に行く子供と同じ匂いがする。それを芸人がやったらおしまいだ。(P83.太線は引用者)

 

もともとは「批評するならやってみな」 ビートたけしの大正論の記事を見て興味をもった。

「特にテレビで顕著なんだけど、それまでは『お客さん』だった人たちが、いつの間にかみんな『批評家』になっちゃった。それもネットの影響かどうかはわからないけど、視聴者が批評家然としてふるまうようになってきたのが、今という時代の特徴。 

という文章を見た瞬間にこの本:『バカ論』を買う気になった。一応音楽批評をしていると自認しているし、江藤淳の『小林秀雄』も以前に読んだしね。けど、あちらの本よりもこのたけしの本の方がダイレクトに学ぶ点が多かった。「成功してからその影に引き戻されて、消えていっちゃう奴もいっぱいいる」という部分は深い。どんなジャンルでもそう。スポーツ選手であっても長友は母子家庭だというし、小野伸二もそう。静岡に住んでたときは家の近くの小学校に彼の横断幕が飾っていたし、彼が幼少時代を過ごしていた団地の前がJRの駅だったしね。

 

はっきり言うと、「やりたい仕事が見つからない」ではなくて、やりたくてもそれに見合った実力がないだけ。さっきも言ったけど、おいらも芸人や漫才師が「やりたかった仕事」だったわけじゃない。たまたま偶然そうなっただけであって、本当はプロ野球選手やノーベル賞をとれるような学者になりたいと思ってた。けれど、身体が小さかったり、大学行って「研究者は無理だな」なんて悟ったり、自分にその実力がないことはすぐにわかったからやめた。「やりたい仕事が見つからない」というのは、実は図々しい考え方なんだね。(P.90)

こういう意見を学生時代に知っておくとすごく伸びるのだけど、なぜかTVでは滅多に見れない。アイドルがお笑いをやるようになって(そのことに対するたけしの意見がこの本に載っていて凄く興味深い)敷居が下がって、ニュース含めてどんどん手軽に楽しむ方向へTVはシフトしている。

 

批評される側の人が批評に対してまとまった量の意見/文句を言うのは滅多に無いので、だからこそ買ったわけだけど、それ以外の部分で非常に学ぶ所があった。もちろん批評については、個人的にはちょっと違う意見。みんな批評家になったとしても、多数派として安住する人と、少数派でもつきつめて体を張る人は違うから。どちらにせよ根本的には「どんな意見を言ってもいいけど理由はかけよ」だと思う。誰も見ないならそのうち発信するモチベーションも下がっていくから、そこまで気にしてもしょうがないと思う。「批評するならやってみな」は当然といえば当然だけど、そのルールを押し通すと、批評できるのはその分野のNo1だけになるよ。それはちょっと寂しい世界だと思う。もちろん零から生み出す苦悩と、生み出されたものに対してアレコレ言うのは、比べるのがおこがましいほどの圧倒的な差があるのだから、そこはちゃんと踏まえた上での意見表明は大前提。そんな意味では批評側に立つ人も、どこかのジャンルでは「零から生み出す苦悩」を味わうべきだし、それをしないと本人が気づかないところでドンドンおかしくなっていくとは感じてる僕もこの半年は新しいプログラミングパラダイムを打ちたてようと四苦八苦しているので、関数型にせよオブジェクト指向にせよ、誰かが作ったものをあれこれ言っている時はめっちゃ楽だったなぁ、としきりに痛感してる。出来た物を後からなぞると全く気にもならないレベルの地点で非常に苦労する。いつか大学とかで学ぶ場面になったらこの部分なんて3ページにも満たない分量になって、ちょっとでも出来る学生なら鼻で笑うレベルで理解するんだろうな、と昔を振り返りながら思う。使う側でなく作る側になって、やっと苦労する本当の場所が見えてくるね。。

 

この本はタモリ、さんま、所ジョージとかに対してたけしがコメントというか批評をしているのだけど、それが滅法面白い。殆ど同意できるし、それ以上に学ぶ点がある。純粋に素晴らしい。映画について語っている部分も凄く興味深いし、なんやかんやでやっぱりジャンルは広く取る方がいいね。お笑いという意味では、まっちゃんや、爆笑問題の太田、ロンドンブーツの淳とか、色々な人が意見を開陳しているワケだけど、どんなに自分自身に縁遠いジャンルであっても、だからこそ、その中で親和性が有る人を1人は見つけた方がいい。たけしとは顔面麻痺で重なるから。昔、そのまんまのタイトルの本を読んだけど、あの本は今回と違ってあまり学ぶところがなかったなぁ。この本では「テレビが面白くなくなった」と巷で言われていることに対するたけしの意見、またそれだけでなく面白くするためにたけしがやってみたい番組案もあって、それも非常に興味深い。ほんと色んな面でタメになる本。

 

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最後にひとつだけ。

 

■自分を探すバカ

「自分探しの方法がわかりません」

まだこんなこと言ってる奴がいるのか。どっかのサッカー選手が「自分探しの旅に出る」とか言っていたけど、バカがバカを探しに言ってどうするんだ。《略》 「自分探しを」とか言う奴には、ひとことで済む。「お前はそこにいるじゃねえか」それで終わる話。「自分探しの旅」なんてことになると、よりバカが増す。東南アジアやインドなんかをバックパック背負って、「自分を探すために、いろいろ世界を見て回りたい」って、それは”観光”と言うんだよ。いつから「観光旅行」が、「自分探しの旅」になったんだ。

大体そういう奴らは、アジアの貧しい国に行って、「子供たちの目がきれい」だとか、「この国に住んでいる人たちは、貧乏だけど幸せそう」なんてことを言う。嘘つけ。そんなこと言いながら、腹の中では「日本に生まれてよかった」と思っているに違いない。この偽善者め。本当にそう思うんだったら、日本に戻らず、その国に骨をうずめればいいんだ。そんなの自分探しでも何でもなくて、「ああ、俺は日本に生まれて良かった」なんていうつまらない自己肯定でしかない。(P.93)

 

笑えるくらいに酷い事言うなーというのが第一印象。けど、世間のアンチ派を代表しているし、この短い文章の中で重要なスタンスは全て網羅されている。猿岩石世代として、どっかのサッカー選手と同じ年の生まれとして、この本の中で唯一、完全に反論したい。まずはこちらの「日本を降りる若者たち」かな。日本という国に生き辛さを感じ、もっと物価の安い国に滞在すること。その是非。この本を読むと、最終的にはたけしが代表するような意見が正しいとは分かる。けど、やっぱり違う面もあって、そもそも「自分探し」というネーミングセンスがダメ。誰がつけたのか謎だけど、こういう学生時代の貧乏旅行は昔からニーズがあった。単なる観光旅行じゃない。確固たる理由があり、やむにやまれずに旅に出るのだけど、なぜそれが必要なのか本人は言語化できてない。そういう言語化できない衝動こそが本当は大事。ここら辺を語るには名著:沢木耕太郎『深夜特急』を読むべきなのだろうけど、未読。。でも、こちらに書いたように、やっとここら辺を表現するための枠組:フレームワークが分かったと思う。ここまで来るとさすがに脱線しすぎなので、続きはBlog2で。




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