オススメ映画批評

レビューサイトにこれだけ熱くなるのはRhythm Nation以来かも。

押井守監督の「勝つために見る映画」
2日前に見つけて、一気に読んでしまった。音楽とは関係ないが、同じ芸術ジャンルということで、こちらに書いておきます。特にこちらは必見。レビューで一番必要なのは評価のベースとなる価値観であり、押井監督にとっての一番根本は勝負に負けないこと

 勝負は勝つためにやるんだから、勝たなきゃ意味がないんです。だから勝つためには詭弁だって使うんです。例えば作った映画の評判が良くなかったとしても、監督は「とんでもないものを作っちゃった」とは言うかもしれないけど、「失敗した」とは絶対に言ってはいけない。これは宮さん(宮崎駿)に習ったんです。「自分で“失敗した”って言うな、口が裂けても言っちゃダメ」って。
(引用元)

以前、誰かの戦国武将の伝記を読んでても書いてあった。「勝つ事を考えるのでなく、大負けをしないことを考えろ」と。戦国武将にとっての戦もそうだし、映画監督にとっての映画もそう。何度も行われる場合、大負けをするのが一番ダメで、大勝ちを狙うのが2番目にダメ。もちろん勝負の結果を分析して次回の改善点を見つけるのは大事だし、客観的に見てどうだったのかも曖昧にしちゃいけない。けど、それと自分の口で「失敗」と言うのは別。それは正直でも何でもなくて、単なるバカということ。特に初号試写の話と押井監督の師匠の言葉、そして最近の押井監督の手法(以下引用)はビジネス上も非常に大事。30過ぎたらマスター必須だね。

みんなの顔を見ながら「この人は不安でいっぱいだ」って思ったときは「なんか問題ありますか?」って逆に聞いちゃうんです。

やっぱり表情から感情を読み取るのがコミュニケーションの大前提であって、「話が面白い」もそう。本当に話が上手い人は滑った時のリカバリが上手いし、滑る手前で気づける察知力がある。そういう意味ではコミュニケーション能力が低い人の80%は相手の表情なんか気にしてないんだよね。

次に面白いのが押井監督のジブリ評。
「えぐい事言うなぁ」と思うけど、これが事実なんだろうね。
  あとはもちろん作品的にも成功させたこと。これには鈴木敏夫(※注)という参謀が必要だった。問題なのはそれが敏ちゃん(鈴木敏夫)の力だったのか、宮さんの力だったのか、本人たちにもわからなくなったんだよ。おたがいに自分の力だと思ってる。宮さんは敏ちゃんなんかいなくたって俺の映画は当たるんだと思ってるよ。「宣伝なんかするな。必要ない」ってはっきり言い切ったんだから。
> 確かに、もはや「宮崎駿の映画」というブランドだけで十分お釣りが来ますよね。
でも「じゃあそのブランドを作ったのは誰よ?」っていう話ですよ。だけど敏ちゃんはそのブランド力を作ったことで、逆に自分の存在意義(=宣伝の必要性)を失って、やさぐれてる。
(引用元)

実は鈴木俊夫氏のことは前から気になってます。特に「コクリコ坂」は旧制中学というか旭丘っぽいよねぇ、と名古屋出身として思う。この「やさぐれてる」という内容が妙にじんみりとくる。特にこちらの今のジブリの現状は見てる立場でもズシリとくる。


最後にテーマについて。
僕に言わせれば「勝負」。これだけが映画のテーマに足り得る。
>「幸福」や「正義」とかは?
ダメ。自由とか正義とか幸せとかいうものがテーマ足り得ないことはもう半ば証明されてるんだけど、いまだに横行してる。なのに本当に永遠のテーマ足り得る「勝負」ということに関しては誰も言わない。不思議な現象だよね。まあ監督か脚本家だけが知っていればべつにいいんだけど。
別の場所では「恋愛はテーマにならない」って面白い事言ってるしね。全部読むのは疲れるし、本人自身の作品を自分で批評しているパトレイバーの回だけは飛ばしたけど、まだまだ3時間ぐらいで読みきれる量だから。社会人3年目〜管理職手前までがベストな読者層だと思うけど、その前後でも読む価値あると思います。

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以前に大学時代ずっとレンタル屋でバイトしていた会社の同期が朝の3分間スピーチで「おすすめの映画」を喋ってた。その映画自体は忘れたのに、今でも覚えているのが「いい映画を見たかったら脚本賞受賞作品を狙え」という発言。なるほどなぁ、と感じた。

私自身も大学1年の入院前はもっと気楽に色々と手を伸ばそうとしてた。R&Bだけでなく音楽だけでなく芸術全体に興味があったから、ユリイカのヌーヴェルヴァーグ特集号を買って関連する本も読み漁ってた。その時、面白かったのが第八芸術論

映画が8番目の芸術ならば、ゲームは9番目の芸術になるべき可能性があると思ってて、けどそうなれていない理由を真面目に探してた。以前の個人的な感動論こそがその結果です。芸術を考えるということは感動を考える事であり、そこを掘り下げないで、ゲーム芸術論を語ってもねぇ。乱暴に言えば演劇に映像機材をかけあわせれば映画になるけど、映画に○をかけあわせてゲームになる。けど、その○こそが感動の定義と背反なんだよね。最近はスマホのお手軽ゲームが増えて、芸術としてのゲームを目指す人が減ってきたように感じる。こちらの意見「ドラクエ7雑感:スマホ脳になったことを・・・」は非常に面白いし、この作者の本:「ソーシャルもうええねん」も面白かったけど、僕はドラクエもFFも全くやった事が無くて好きなのはアドベンチャーゲームの大作だから、昔から変わり者だったけど(笑


ストーリー(シナリオ)とカメラワーク(視点)
黒澤明があれだけ大監督となっている一番の理由は映画に「視点」の概念を入れた初めての人だと何処かに書いてあった記憶がある。こういう言い方は語弊あると思うが、ぶっちゃけ俳優の演技の割合は演劇ほどじゃない。告白シーンで片方が大根役者ならばそいつの頭の後ろから写せばいいのであって。

シナリオはシナリオライターがいて、カメラはカメラマンがいる。演技は俳優がする。けど、全体を組み合わせるのは監督だと思ってます。小説でも人称表現等で視点を切り替えれるけど、映像表現ほど明確にできるワケじゃない。小説における視点って、音楽におけるテンポほどの割合ぐらいしか変更できないと思っているのだけど。

リメイクされる映画というのはシナリオがしっかりしているモノであり、そのシナリオのコアは「勝負」しかない、という押井監督の断言はかなりナイス。恋愛なんて、基本は出会って運命/予感を感じてくっつくだけだから、それだけではシナリオにならず最低でもロミオとジュリエットみたいな状況設定が必要という意見は、本気感動した。確かに有名な恋愛小説は「ノルウェイの森」にせよ、「今、会いにゆきます」も状況設定に死の匂いがある。

逆に歌や詩(和歌・俳句も)はシナリオは無いんだよね。基本は情景の切り取りであって、無理にストーリーを入れるとくどくなる。けど、本当に傑作になれば、情景が昨日にも明日にも広がって、ストーリーが背景に浮かんでくるから。


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