美人アイテム論

先週とりあげた「盲人男性は「美人」に欲情するか?──晴眼社会を生きる盲人男性のセクシュアリティ──」の続きです。

レイ・チャールズの伝記映画:Rayは色んな意味で勉強になった。音楽的にもそれ以外でも学べるという視点では今までのBlackMovieの中でTOPだと思う。あの映画で盲目であるレイ・チャールズが付き合う女性を品定めする時に、「声」と「手首」で決めていたのが印象的で。

盲人男性の美人感についてはあの映画がMAXだったので、この倉本氏の論文は非常に楽しかった。
[1] 「知的」は「顔の作り」を代替するか
[2]  男と女、どちらが顔に拘るか
については先週書いたので、続きにいきます。

[3]  美人アイテム論
盲人もまた「美人」に惹かれ、「不美人」にネガティブな感情を抱くことがある。私は、つぎのような話をある盲人から聞かされたことがある。
 彼にはつきあっている女性がいた。ある日、晴眼の友人に彼女を紹介した彼は、後日、その友人から、「お前の彼女、あまり美人じゃないな」と言われ、ショックを受けたという。彼は、それ以来、自分のなかでの彼女の評価がなんとなく下がってしまったようだと語ってくれた。友人のことばを耳にするまでは、彼にとって彼女の容姿がどうであるかはほとんど気にならなかったのにである。
 もちろん、このケースでは、「あまり美人じゃない」女性を恋人にもつということの別な意味についても考慮しておく必要があろう。つまり、少なからぬ男性にとって、恋人は単に恋愛の対象であるのみならず、自分を他の男たちから差別化するための「アイテム」でもあるという点だ。そのことだけを目的に恋人を選ぶではないにせよ、彼女が「美人」であるということは、性的な欲望を満足させるだけでなく、一種の優越感をも男たちにもたらす。逆に、恋人が「不美人」であることによって、「負けた」という感覚を抱く男性も少なくない。こうした事柄に一喜一憂することがいかにばかばかしくとも、ゲームに熱中する男たちには、そうしたばかげた己の姿は見えておらず、仮にそのことに気づいたとしても、ひとりゲームからおりることを、他の参加者はたやすく許してくれないのである。

マジ?という気分大。
美人アイテム論自体じゃなくて、太字にした「他の参加者はたやすく許してくれないのである」の部分。男だけで何人か集まって飲んでるときに彼女/奥さんの話題になったとする。確かに「○○の彼女/奥さんは美人だよなぁ」って発言は出る事もある。けど、「○○の彼女/奥さんはブスだよなぁ」とは流石に言わないぞ。そりゃ美人という話題の中では取り上げられないかもしれないけど、「なんであんなブスと付き合った/結婚したの?」ってズケズケ聞く奴は絶交でしょ。有り得ない。もちろん「おまえんところはどうよ」ってふってくる事はあるかも知れないけど、「そこばっかり気にしてもしゃーないじゃん」とかなんとか言えばいいし、それでも突っ込んでくる人とは距離を置くだけの話。

そこまでアホな人たちを「ゲームに熱中する男たち」と言っているのだとすれば意味は通る。確かにその場で切れて「俺はもう帰る」まで言いたくないかもしれないし、その飲み会の中ではずっとそこをネタにされるかもしれないけど、人生で一回きりじゃん。「世の中にはアホもいる」と思えばいいだけ。それを

けれど、男性が常に加害者としてだけ存在するわけでなく、加害者であると同時に被害者ともなりうる可能性があることにも気づく必要がある。
って「被害者」まで言ったら本当に顔の作りに恵まれてない女性に対して失礼でしょう。いやさ、確かにもちろんこういう側面がゼロとは言わない。だから現状の分析をちゃんとやるという視点で言えば話題に取り上げるのは構わない。けど、本論の締めが

私たち盲人男性がセクシュアリティにおける自己決定の幅を少しでも広げようとするならば、こうした「美人」の呪縛から逃れる手だてを考えなければならないだろう。
っていう内容じゃちょっとねぇ。「気にしないように強く生きていく必要がある」で締めればいいじゃん。「アホには関わるな」っていう話であって、それ以上でもそれ以下でもない。もちろん心の奥底で「美人な彼女と付き合って友達から賞賛されたい」という気持ちがあるのは否定できないけど、それは「イケメンに生まれたかった」という気持ちを否定するのと同じぐらいに難しいよ。難しいからこそ、皆苦労しているわけで。

一般的には、女性は一度イケメンと付き合って浮気されてて/自分が本命じゃないと知って「こんなアホな話は人生一回きりでいい」と痛感する。けど、男性側は一度美人と付き合ってアホらしさを痛感する事が難しいから(大前提として「男性の方が女性より複数の相手とすることに抵抗が無い」があります)、顔に拘る状態が長く続く面もあるとは思うけど。

もちろん「盲人であっても視覚軸から自由でない」という部分を率直に書いた本論文の価値は凄く高いと思ってます。けど、「他の参加者はたやすく許してくれないのである」ではなくて「自分自身がそのゲームから降りたくないというエゴがある」のであって、この論文にはそのエゴを他人のせいにしている部分が奥底に見え隠れしていると思うな。って、自分自身も最終的に言い逃れている文章を「書いていない」とは口が裂けても言えないし、「そこがどこだかすら分かっていない」のも確か。気づいた部分は書き直しているから、今皆さんが感じている部分は僕はまだ分かってないのです。。

「平和な社会を作る」ためには色々と法律の整備とかルール決めが必要だから、社会自体に問題提起をして皆で決めていく必要がある。けど「「美人」の呪縛から逃れる」のは個人の問題だから個人個人が自分の中で陶冶していく話なんだよね。まさか強制整形なんて法律作るわけにもいかないでしょう。結局、答えはAll is Fair in Loveになるのだけど、その状態になるのが難しいのかもね。そんな意味では、あの時の時点で僕は幸せだったんだな、とふっと思えた。

色々とネガティブな事も書いたけど、「盲人にとっての美人」について「《目が見ないから関係無い》なんて理想でしかない」と真正面から取り上げてくれた態度は賞賛したいと思ってます。個人的には倉本氏はBlackMusicの世界につれてきたい気がした(笑 倉本氏が一番最初に聴くとしたらGlenn Lewisなんてどうでしょうか? かなりハマると思いますよ♪




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