マイケル・ジャクソン

 父親ジョーが「幼い頃からエンターティナーとして、自分や兄弟を厳しく鍛えたこと」、それは完璧ではないにせよ、ひとつの愛の形だと「大目に見る」感情に気づいたという。

マイケルは言う。

「私は『お父さん』が欲しいからこそ、父を許したい。彼はたったひとりの私の父親なんです。過去の重荷を肩から降ろして、これからの残りの人生で新しい関係を父親と築き上げてゆきたいのです。」
「マイケルジャクソン」西寺郷太著 講談社現在新書

マイケルが死んだ後に書かれた新著だから適当に過去のエピソードを孫引きしてるぐらいかな?と思って手にとってみたら、中身が非常に濃い。マイケルとジャクソンファミリーの歴史がコンパクトに、かつ著者の心地良い思い入れと共に書いてある。これだけの内容なら普通の本としても発売できるだろうにね。出版不況で新書にしたんじゃないかな。

去年の6月のマイケルが死んだ日、たまたま出張でホテルにいたのでCNNニュースを見てました。クインシー・ジョーンズだけでなく、ベリー・ゴーディまでテレビに出てきた時はマジモン驚いた。まだ生きてたんだ(失礼) それにテレビでテディー・ライリーが「自分の最高傑作はRemember the Time」と言ってたから。確かに20年近く前のデンジャラス発売の頃一番好きだったけど、まさか最高傑作と言うとはね。

追悼番組ではマイケルのJackson5時代のPVを見て、ウェンツ瑛士とかの今どきのアイドルがマイケルの凄さに初めて気づいてたのも良かった。確かに95年ぐらいから整形崩壊とかのネガティブニュースばっかりだから、マイケルにポジティブ・イメージがあったのはデンジャラス発売時に中学生だった僕らの年齢層まででしょう。そんな意味では再評価されているのはいい事だと思う。

けど、追悼番組もJackson5とスリラーとBAD時代が多くて、あまりinvincibleを取り上げてなかった。何よりコメンテータが訳知り顔で理解されなかったマイケルに同情してたのも見ててムカついた。そういう台詞はinvincibleを100回聴いてから言え。

本当のファンはhistoryの2枚目を聴き込める人
次のレベルがinvincible
Black MusicファンはOff The Wallを推す
これが全てです。それ以外は社会現象(POPSを含む)としてのマイケル以外を語る資格は無い。

この著者は本当のファンだね。
DISCIIをリリース時にはじめて聴いた時、正直言って僕自身、このアルバムに収められた曲の歌詞やサウンドのあまりの「悲痛さ」「メディア批判」「怒りの表現のストレートさ」に困惑してしまった。《中略》しかし、一曲ずつに焦点を当ててゆくと、その評価は一変する。

だから素直に尊敬します。著者イチオシのThey Don't Care about USは聴きこまなくちゃね。この本は、ジャクソン5がモータウンからEPICに移籍した頃の、一番今まで知らなかった部分が詳しく書いてあって嬉しかった。

しかし、ここからも兄弟達には、険しい道が待っていた。「移籍したのだから、すぐに自分達が主導権を握ったアルバム製作が出来るはずだ」と喜び勇んでいた兄弟達の期待は裏切られる。移籍後の二枚のアルバムはEPIC社長のロン・アレクセンバーグの方針により、当時時代を牽引していた「フィラデルフィア・ソウル」の名プロデューサ「ケニー・ギャンブル&レオン・ハフ」の手に委ねられる
《中略》
これまでの秘密主義のモータウンのソングライティング・チームとは違い、ギャンブル&ハフは「音作りの構造」をていねいにマイケルや兄弟に見せてくれた。この時のレクチャーは後の「作詞・作曲家マイケル・ジャクソン」にとって大きな意味を持つことになる

この部分は初めて知りました。まさかギャンブル&ハフが出てくるとはね。うーん、びっくりした。マイケルの幼児虐待疑惑についてはTVで再検証番組をやってたからある程度は知ってた。一番最初にマイケルを告発した人が自殺した時点で、やっぱりマイケルだけが悪いワケでもないんだなって、世界中が感じただろうしね。この本では「マイケルの性器の斑点と、子供の供述書の絵が違っていた」と書いていたけど、以前に読んだ別の本では「一致した」って書いてあったんだが・・・
まあそこは置いておいて。新書で740円だし、内容は濃いし、かなりお薦めの本です。


映画:THIS IS ITは見に行きませんでした。
残ってるリハーサルの映像を繋ぎ合わせて、売り物にする発想が嫌いだったので。
オルテガは当初「自分は『映画監督』ではなく、マイケルとともに舞台を作り上げる役割だった」と断った。しかし、もしも他の人間が監督となり、映画を作るのであるなら「マイケルの想いを出来るだけそのままに伝えるために」一番近くにいた自分がまとめるしかない、と決意を固め引き受けたという

この本で、この部分を読んで、やっと見る気になった。そしたら映画はもう終わっているし、レンタルも無いし・・・。レンタルをしないというのは、一つの潔さだと思うから好感度UPなんだけど。「あくまでもコンサートのチケットを買っていた人のための映画である」というのは、正しい態度だと思うから。
すみません、最近(2010/10)になって、レンタル解禁してます・・・・

実際DVDで見てみると、体のキレの凄さ。まずそれにつきる。you rock my worldのPVとは違う。あれは全盛期の1〜30%だったけど、このDVDでの動きはマイケル自身も言う通り80%はあります。それだけで見る価値あるね。リハーサル映像を見てると「確かにこのレベルならばコンサートに行く価値がある」と思った。個人的にはWhatever happensの方向を突き詰めたSoulシンガーとしてのマイケルがずっと見たかったけど、やっぱりKing of POPです。UPの曲を歌って踊って、それがマイケルだね。DVDを見てて痛感した。

何よりもダンサーが純粋にマイケルに憧れていて、それが見てて心地よい。個人的には2枚目のダンスのオーディションが一番楽しかったです。なかなかのイケメンもいたりして、今後の彼らの活躍も興味を持った。ただ、マイケル亡き後の彼らのダンスをYouTubeで見たけど、ダンサーだけっていうのはなんか物足りなくて・・・やっぱりマイケルが歌って踊ってこそと、改めて感じました。

とりあえず、今からHisotryのDISCIIを聴きます。
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    bmr: プロデューサ列伝

    今さっき一通り読みました。すげー楽しかった。色々と思うことを書きながら整理したくて。何から書けばいいか分からないけど、やっぱりプロデューサも大御所からいきますか。

    ◆Quincy Jones:クインシー・ジョーンズ
    .◆璽謄ストの人間性こそがコア
    ▲轡鵐札汽ぅ供爾魯戰鵐箸靴覆い犬磴覆い。ベントしなければファンキーにならないからさ!
    9人音楽の本質とは、ソウルの共同体(コレクティブ・ソウル)そのものだよ

    やっぱりこの人こそがTOPでしょう。ティンバランドもこの本の中で「真のプロデューサというものはQuincy Jonesみたな人を言うのであって自分自身はまだまだ」と言ってるしね。バス・ドラムのリズムの変化を黒人音楽の変化のバロメータにしているとか色々と興味深いことを書いているけど、一番心に残ったのが,良分。ジェイムス・イングラムやテヴィン・キャンベルに出会った時も、その素質は分かった。個性に溢れ、人間としての自分の分をわきまえている。パリ時代の私の先生がかつて教えてくれたのは「あなたの音楽というものは、あなたの人間性以上でも以下でもないのです」ということで、私はそれを真実だと思っている。そういった人間性の部分でも、彼らは最高水準をクリアしている。パーソナリティのもつ重要性をいかに音楽に表現するかを心得ているんだ」 ジェイムズ・イングラムのことは知らないがテヴィンのことは同年代で知ってる。確かに「どこに出しても恥ずかしくない自慢の男の子」って感じの歌手で、Confusedが妙に個人的に好きだった。歌が上手くて心情が綺麗で、中学生の理想の恋愛像を歌わせたらピカイチだと思う。Tevinのことはあまり知らない若い人も、Q.J.最後の秘蔵っ子といわれたMarc DorseyTamiaなら知ってるかな。彼らを見ても一目瞭然。この二人は突き詰めると人間性こそが印象に残る歌手だから。

    △六笋砲箸辰討楼嫐I毀澄けど音派の人にとってはインタビューのこの部分こそが一番価値があると思う。「あの頃、私達がシンセサイザーのモルモット的役割を果たした。<中略>日本の倉庫であの楽器を使っている時で、まだ将来どんな存在になるか見当もつかなかったはずだ。ピッチ・ベンダーや・・・」という部分は非常に面白い。ってそもそも上記の「ベント」ってどいう綴りの単語なんでしょうか?それすら分からないが。

    はさすが大御所。というよりもQuincy Jonesは超大御所か。コレクティブ・ソウルねぇ。確かに内部にいる人にとってのSoulはこういう定義になるのだろう。けど、日本という国でBlack Musicを追っかけている立場ではとてもコレクティブとは言えないなぁ、というのが素直な感想。

    逆に20年近くのリスナー生活を通じて僕はSoulを支える一番の身体的基盤を息吹とする。それが本サイトの視点だし理解。けど、この本を読んで骨の髄までどっぷりつかってた2000年前後を思い出してた。今年発売の本だけど実際のプロデューサーへのインタビューは99年〜01年がメインだから。そんな事をぼんやり考えながらこの本を読んでて、「あ、メロディーは髄なんだ」と気づいた。今までずっと姿勢が大事だと思っていたけど、本当のポイントは姿勢によって骨髄が流れやすくなって淀みがなくなるのが大事なんだと。一般的には人の根源的なテンポは心拍が担っていると思われている。それは納得するのだけど個人的には物足りない。心拍を一番コントロールするのは息吹であり、意志が心拍をコントロールしようと思ったら呼吸を変えるしかないから。けど、ここにはテンポ以上の世界は無いと思う。このQuincy Jonesの文章を読んでると、妙に人の根源的なリズムは骨髄の流れだと感じる。

    こんなこと書いていると、せっかくのQuincy Jones御大の素晴らしい定義を冒涜している気もするけど、こういう態度は本サイトのいつもの事なんで(笑 とりあえずJames IngramのIt's Your Nightは探すリストに入れねば。

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    ◆Clive Davis:クライブ・ディヴィス
    Whitney HoustonのI Look To Youこそがプロデュースの全てだと思う
    ▲▲螢轡◆Εーズのデビュー作をあのままの形で発表させたのは目利きの凄さ

    哲章さんが「クライブ爺さん」と呼んでいたので僕の中でもそうなってっるクライブ・ディヴィス。音楽畑出身でも黒人でもないけどここまで影響力をもっている点ではピカイチ。コアなリスナーからはケナサれることはあっても褒められることは滅多に無いクライブ爺さん。だからこのインタビュー記事で目を開かれさせられた。この本でもインタビューワーが「アーティスト自身の中から湧き出るものだけを抽出し、何ら色づけされることなく作品として聴き手に届けられるべきだと考える極端なロマンティストにとっては、クライブのような立場の存在は不要に思えるかもしれない。しかし、果たしてそうなのだろうか?アーティスト以外の人間が作品の方向性を考えてはいけないのか?それが音楽業界の迎えるべき明日なのだろうか?」と問題提起しているしね。

    その答えこそがクレイブ爺さんの叩きだしてきた結果なのだろう。特に完全に終わったと思われてたWhitney Houston。彼女の最後をあれだけ皆が悲しんだのは最終作となったI Look To Youの出来の良さがあるし、Whitney Houston自身にとってもビジネス上としても、素晴らしい結果を出したのだから。「このアルバムは意外とオススメなんだよね」としか書かなかった本サイトは不十分だった。。

    この本で初めて知ったけど、Alicia Keysはソーソーデフ〜コロンビアでのアルバムデビューが頓挫していたんだね。そりゃあのアルバムがあれだけ売れたのは驚愕だったから。デビュー作の突き詰め度合いは彼女が敬愛するマクナイトの1stに近い。作家性が高すぎて根本が明るくないアルバムはHIT出来ないのが当然なのにそれを社会現象まで持っていくだけのパワーはクレイブ爺さんぐらいしか持ってないか。誰もがデビューアルバムを作りたがったWhitney Houstonと違い、あのアリシアのデビュー作をあの方向性で売り出してあの結果を出したのならば、僕の中でも間違いなく「黄金の耳」の称号です。こういう記事を見ていると妙にBobby Brownに被るし、アリシアは悪い意味でのWhitney Houstonの人生をなぞっている気もするけど、この本にも載るくらいにSwizz Beatsは才能あるんだね。「非サンプリング宣言」は確かにイケテル男だ。歌手と結婚したWhitney Houstonじゃなくてプロデューサというかトラックメイカーと結婚したアリシアは、トラックメイカーというかメロディーメイカーのパーソナリティが強いんだろうね。とりあえずこの本のクレイブ爺さんの関わった作品リストでいえば、SantanaのSuper Naturalをリストに入る予定。

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    すみません、ちょっと2時間なんでのこりは簡略で。時間取れたら追記します。それにしてもHip-Hopを全然聴いてないのは片手落ち以上だね。分かっているつもりだけど、このプロデューサ列伝をみて余計に痛感する。


    ◆Remember The Time
    この曲がテディー自身が認める最高傑作なのは知ってた。けど、直弟子のロドニー・ジャーキンスにとってもこの曲こそが弟子入りのきっかけであり、これだけべたボメするとは。。確かにこの曲はむちゃくちゃ気に入ったからシングル盤で買った。結局、In The Closedもシングルで買ってJamが出た時に諦めてアルバムを買った。シングル2枚とアルバムを買ったのはBoyzIIMenのデビュー作とマイケルのデンジャラスだけ。VCもナイスな曲だし、マイケルの整形度合いとしてもこのVCが一番かっこいい。けど、テディーとロドニー・ジャーキンスがここまでべた褒めするほど僕自身が気に入っていたかと聞かれるとYesとは言えない。。なんか妙に自分自身のセンスの無さを痛感してしまった。

    それにしてもロドニー・ジャーキンスはあんなにローナをホメるとはね。完全ダメだしした立場としてはもう一度初心に帰って聴くか。歌手との関係でいえばMaryJ.がこれだけビックになったのは3作目で活躍したロドニー・ジャーキンスの功績が大きいと思っているけど。


    ◆Jam&Lewis
    あいかわらずグラサンしているいつもの写真しかないけど、この二人の素顔を一度みてみたいなぁ。本気を出すと売れない傑作ができあがる所に妙に親近感を持ってる。インタビューで出てくるモリソン・スリックは結局、お蔵入りで発売できなかったのね。だから代わりにこちらを買いました。90'SのR&Bの傑作は全て集めたと思っていたから興味満々。


    ◆Timbaland
    いやー「不思議君」と書いてあるとおり面白い人だなぁ。記事読んでる僕らにも伝わるくらいの不思議度合い。個人的には一番想像と違うインタビューの受け答えをしていたのがティンバランド。けど皆が聞きたいデバンテへの感情はマグーにしか聞いてないのね(笑。このマグーのデバンテへのコメントが大人でいい。けど、MissyとTimbalandはここまで大人なコメントはできないだろうし、そういう感情こそが大事な気もする。Timbalandの作品リストの中ではやっぱりアリーヤの2nd、ミッシーの1st、ジニュワインの2ndと聴くべき作品は多いけど、なんかやっぱりJodeciの3作目だと思い始めた。

    Jodeciの3作目:The Show,The Afterparty,The Hotelは、歌としてはイマイチなんだけど、何かがある。Remeber The Timeには、あの当時、この何かを感じなかったけど、この作品は発売当時から妙に聴きこんでた。パワーボーカルはUPテンポの曲か、DeepなSlowでのシャウトこそで映えるのだけど、デバンテに虐げられてた頃の彼らが作り出したダウンビートに重ねるK-ciの声は妙にハマる。よく、「車が底揺れするような感覚」と書いたけど、ぶっちゃけカーセックスの世界なんだよね。歌詞ではホテルの部屋にファンが尋ねてきてXXXなんだけど、この底揺れするビートが紡ぎ出すのはカーセックス。ここら辺のノリが全部Hip-Hopに行っちゃったのは凄い残念だし、こういう音をこういう声で歌ってくれる作品は他にも発売されて欲しいと思ってます。


    ◆Kedar Massenburg
    初めて顔見ました。本人自身がなるべく表に出ないようにしているんだね。それだけモータウンの舵取りには神経をつかったということか。アンドレ・ハレルがUpTowonレコードからモータウンに移って失敗した事実を反面教師にしているんだね。「俺はアーティストのこと、特にアーティスト生命を長く保てるか気にしている」と言っているのはこの本の中で彼だけじゃん。それにしてもグレニークとプロファイルにこれだけ入れ込んでいたとは。僕も両者とも好きだったけど、グレニークの2ndは何故発売されなかったのだろう。そこら辺を改めて聞いて欲しい気もする。この本の中の他のインタビューではそういう事を聞いている箇所もあるから、その点でも読む価値があると思う。


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    興味深い記事はもっと沢山ありますが、ここら辺で終わりにしたいと思います。一家に一冊レベルで推薦できる本なのは間違いない。個人的には妙にTim&Bobが好きだったんだよね。大ヒットを作るプロデューサではないが、アルバムの完成度を高めるのには彼らの参加が必須だと思ってて、妙に個人的に好きな曲が妙に彼らが作っていることが多かった。さすがにbmrもTim&Bobのインタビューはしてないかなぁ。 


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      恋愛指南本比較

      両極端の本を同時に読むと妙にしっくりくる事がある。以前は龍樹の中論とちょい爽やかなエロ漫画。今回は井筒俊彦「「美女と野獣」の野獣になる方法」「オクテ男子のための恋愛ゼミナール」 

      恋愛指南本は否定しない。教養というか基本として知っておいていいと思う。30過ぎてから「学生時代に読みたかった」って痛感するぐらいなら、少々恥ずかしくても早めに読んでおいた方がいい。周囲の友達が上手で、普通にしてて情報が入ってくるなら問題ないけど。私自身はそういう友達に恵まれてたから、学生時代は読んだ事なかった。逆に、休日に大学図書館で借りてきた本ばっかり読んでたら、友達が「彼女とデートしたいから車貸してくれ」 貸したらカーセックスしやがった。おいおい。したならしたで「すまん、我慢できなかった」とでも面と向って言ってくれれば良かったのに、次の飲み会で回りがクスクス言ってた。そういう知らされ方がカチンときたけど、地元の超爽やかな友達は帰省中に会った時、「札幌のアパートは寮生活の友達に貸してるよ」「まじ!?」「え、単に、彼女が出来て1人暮らしを味わいたいっていうからさ」 人間には器がある。それを痛感したなぁ。


      あれ、脱線してしまった。井筒俊彦については今はいい。イスラム教の神秘主義については非常に興味あるが、とりあえず横に置く。話題にしたいのは、「「美女と野獣」の野獣になる方法」 いいタイトルだよねぇ。著者のことは以前にこちらの本を取り上げた。前々から気になっていたけど、大ヒットした次の本(夢をかなえるゾウ)はパス。今回は理由があって買った。著者が中高生の時、御器所(地名)の最前線(店名)でゲーセンオタクだったって、それは非常に懐かしい。御器所の最前線は1,2回しか行ったことないけど、昭和区はど地元だから。やっぱり名古屋で中高一貫の男子校で大学が慶応なら東海なのね。お、一歳上なだけじゃん。3歳ぐらい上だと思ってた。

      あれ、脱線してしまった。この本についてはAmazonのレビューみれば分かると思う。あれだけ褒める人と貶す人に分かれるのは、逆に作者の想定内なんだろう。この値段なら間違いなく買う価値はある。世のモテ指南本は多いが、男性が書いた中ではこれが一番じゃないかな。己の恥を赤裸々に書いている。スタートラインの位置の低さ。この本の一番の良さは34ページの後ろから2行目。Amazonのレビューでは誰も書いて無いし、こんなアホな意見を書くのは自分だけだと分かっている。ある意味絶句な態度。けど、3年目ぐらいに恋愛と相手の見た目の奥にある扉が開くんだと思う。その感謝感を書けばいいのに、それは恥ずかしいのかもね。己をさらけ出している人ほど、実は出してない部分がある。BTO理論が一番生理的に嫌だという読者も多いと思う。けど、2行目の態度とセットでこそ本当の扉がある。わざと書かない作者のために本サイトが書いておく。

       
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        「伝説のイエロー・ブルース」



        たまたま見つけたこの本、読んですごく感動した。
        “あんたは黒人じゃない。でも、あんたのソウルは黒人よりももっと黒い”。カバン一つと古びたギターをかかえて海を渡った男が、あらゆる屈辱と人種差別を乗り越え、ニューヨークの舞台で贈られた称讃の言葉。アメリカ合衆国に一人闘いを挑んだミスター・イエロー・ブルース、大木トオルが語る青春の軌跡。

        Black Musicといってもブルースは全然ダメだから、大木トオルのことは全く知らなかった。けど、この人の軌跡は間違いなく本物。「東洋人として始めてブルース歌手でビザを取得」とか客観的に証明できるエピソードには事欠かないけど、そんなのを横に置いても伝わると思う。最初にAmazonで見つけた時は「セラピードッグ」の本もあって「本職は何?」状態だったが、本を読めば良く分かる。

        大事な場面場面で犬に癒されたんだね。単身アメリカで渡った時、住まわせてもらった黒人一家での犬とのエピソードが心を打つ。こちらのインタビューにも詳しく書いているしね。アルバート・キングもB.B.キングも名前を聞いたことあるレベルだけど、この本には彼らが腹違いの兄弟って書いてある。ホント?Wikipediaには「血縁関係は無い」って書いてあるけど、アルバート・キングと共演したときに本人から聞いたと。


        R&Bよりもブルースの方が黒人のルーツだからこそ、日本人がブルースを歌う事にはもっと障壁があったと思う。本場のブルースを突き詰めれば突き詰めるほど出てくる日本人らしさ。
        私は黒人ブルースに憧れ、そしてかぎりなく彼らのブルースに近づこうとした。だからこそ私は日本的なものをいっさい排除し、黒人たちの発想に近づこうとした。そのために、こうして私の歌がニューヨークっ子たちにも受け入れられたのだろう。そう思ったとき、公演先のマネージャからこういわれたことがある。
        「トオル・ナオキ。君のブルースはいい。しかし、君の音楽にはどこか”ソイ・ソース”の匂いがするね」
        ”ソイ・ソース”とは醤油のことで”日本人的なもの”を指す場合に良く使われる。そして、彼はこうつづけた。
        「だがそれは悪くないんだよ(IT'S NOT BAD)」
        かぎりなく内にある”日本的なもの”を排除しようとすればするほど、かえって自分の中に純粋な”黄色い日本人”の感情が入り込む。皮肉なことだが、それがかえってアメリカ人にとって新鮮な音楽として聞こえてくる・・・・。その事実に気づいた瞬間、私は自分の”黄色いブルース”が産声をあげたのを感じた。
        P192から引用

        素晴らしいの一言につきる。普通は最初からイエローブルースを狙って黒人にも日本人にも届かないモノに成り果てる。日本的なものを一切排除する勇気。若さゆえの蛮勇なのか、結核で残り僅かな人生と宣言されたからなのか、高校時代からずっと好きだった女性との恋愛の果てなのか・・・そんな色々なものが混ざり合って、かけなしのアンプを売ったお金で片道切符のアメリカ行き。
         
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          「悲しみは娯楽にしなさい」 by苫米地英人

          悲しい出来事を思い出して、悲しみにくれる事は、その人しか出来ない娯楽です。それを記憶から無理に消し去ろうとしなくていいのです。ただし、悲しむために時間を浪費してはいけません。自分がやるべきことをちゃんとやって、悲しむゆとりのあるときに、悲しめばいいのだと思います。それは、映画館に悲しい映画を見に行くのと本質的には同じ事です。本当の悲しみの記憶が無い人は、わざわざお金を払って映画館に行き、他人が演じる悲しみに感情移入しなくてはいけないのですから。

          相変わらず過激なことを言う人だけど、この本:「イヤな気持ちを消す技術」はスゲー。脳科学的な知見に基づいた解説も楽しいけど、P129のこと文章が一番ぶっとんでる。評価が割れるというか毀誉褒貶の人だけど、以前にBlog2で紹介したあちらの本とこの本は本当にオススメ。内容的にこの本はこちらで紹介します。

          この21世紀、苦しい、辛い、怖い、悲しいという記憶はすべて娯楽になったといえます。なぜかというと、マイナスの情動はいま、ほとんど必要がなくなっているからです。たとえば、その昔は、恐怖にはたしかな役割がありました。火が怖いということで、火を恐れ、火を避けました。暗いところでは何かに襲われたりする危険性が高いため、暗いところを避けました。これは本能によるもの。つまり生得的なものです。しかし、現代では危険をさけるために恐怖を必要としていません。
          《略》
          人間は言語を発明し、ある程度前頭野が進化することによって、言語空間かつ情報空間にリアリティを感じる事ができるように進化しました。そのため、私たちは、直接的な失敗の体験を必要としなくなりました。《略》 恐怖という危険を避けるための道具は、時代遅れになり、いまや大して役に立たなくなっています。その大して役に立たない情動に囚われ、それが人生を前進させる力を殺(そ)いでいるとしたら、私たちにはそれを思い出さなくてはならない必然性がありません。では、必要ないからやめるかといえば、そんなことに時間や労力を注ぎ込むこともありません
          《略》
          人間にかかわるもので、今はもう必要ないものはたくさんあります。たとえば、髪の毛です。人類はもう、髪の毛を必要とはしていません。昔は髪の毛も体毛も必要があったはずですが、いまでは頭が禿げているという理由で死ぬ人はひとりもいません。《略》 では必要性を失った毛が身体から生えていると悪いかといえば、そうではありません。髪の毛についていえば、どう考えても必要性がないものに対して、わざわざ色をつけたり、曲げたり伸ばしたり、いろいろなことをしています。それが、ファッションであり、広い意味での娯楽です。
          《略》
          それと同じごとで、情動にも、娯楽という新しい役割が与えられました。だから私たちは恐怖映画を観て、あるいは遊園地のジェットコースターに乗って、恐怖を楽しみます。


          確かに、恋愛小説や恋愛ドラマを見たがる人は、自分自身において恋愛の記憶が足らない面はあるのだと思う。00年代にオバチャマたちが冬ソナにハマっていたけど、結婚して子供も生んでから恋愛にハマルよりはTVドラマにハマった方がいい気がする。けど、若いうちから恋愛小説・恋愛漫画・恋愛ドラマにハマるぐらいなら、「現実で行動しろ」というのは一つの正しいメッセージになっている。顔の作りを主眼にすると一定ライン以外は恋愛に縁遠くなるけど、美人とイケメンの恋愛もブスとブサメンの恋愛も、恋愛において差は無いのだから。顔やスタイル以外の好みを明確化する努力はした方がいい。
           
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            「上を向いて歩こう」 六八九トリオ

            若き日の中村八大と渡辺晋



            Black Musicファンには必須な本なのは間違いない。それだけでなく日本におけるJazzの全盛期が体感として分かる。邦楽はまったく疎いので六八九トリオという言葉自体もこの本で知った。もちろんYoutubeで「明日があるさ」「見上げてごらん夜の空を」を以前に聞いた。けど、「上を向いて歩こう」ほど感動しなかった。実際、これらの曲もアメリカに持ち込まれ、そしてヒットしなかったという。この2曲と「上を向いてあるこう」は曲名からも分かるように同じ志向性。だからこそ、この3曲を比較すると本当に本国でNo1をとるために必要な事が見えてくる。それはずっと思っていたけど、曲が生まれた状況まで知る必要もあって、そこでずっと足踏みしてた。

            Amazonのリコメンドシステムも的確になってきたなぁ。この本が出版されてすぐにリコメンドしてくれるのだから。この本を読んで背景まで明確に分かった。歌手の歌い方については僕は明確な軸を持ってない。だから坂本九の歌手としての才能はこの本に書いてあることを全部理解できたと思わない。本人のキャラクターの良さが発現されたアメリカのTV音楽番組でのやりとりはぜひ見てみたいけど・・・。結局、この3人のトリオで生まれた傑作だけど、コアは中村八大なのだ。著者もそう思っているのだろうし、それが自然と読者にも伝わってくる。

            そして奥に渡辺晋がいる。まさかこの人がナベプロの創始者とはね。ジャニーズが少年野球チームから始まったのは芸能史として知っていたけど、ナベプロは全く知らなかった。この本を読むと芸能ネタとしてジャニーズのWikiを見るヒマあったら、ジャズマンとしての渡辺晋を追っかける方が音楽ファンとして正しい態度だと分かる。リーダであり戦略家であり、器がある。それが渡辺晋なのだ。ジャニーさんが自身の性的嗜好から売れるアイドルを見分ける嗅覚があることについては、さもありなんと思うけど、渡辺晋は純粋な音楽の世界の嗅覚だから面白い。

            あれ、なんか、さすがにこのタイミングで日本の音楽ネタを書くとSMAPに引きずられるなぁ。興味ないとおもっていても、どうしても(笑 この話題で一番なっとくしたのはこちら

            平日なのもあるので、これぐらいで。あらためてSMAPネタを外して書き直します。多分、僕が改めて書くより前に、この本を読みたい人も多いと思うので。僕は今、「黒い花びら」をYoutubeで聞いたところ。演歌9とJazz2かな、これは。考察のコアである「明日があるさ」「見上げてごらん夜の空を」に何が足らないかは、体感としては分かっている。これに満足できるならBlack Musicまで辿りついてない。この二つは「夜空ノムコウ」と同じなんだと思うな。

            おっと、これぐらいで。
             
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              小林太市郎藝術論要約

               

              昔は美学をやっているといえば、それだけで芸術家、文士、哲学者からバカにされた。戦後、新設の文学部に美学科の設置を見合わせた大学(北大、阪大等)がある中で、神戸大学は逆に「芸術学科」の名称のもと新しい学問の誕生を期待した。それに答えたのが小林太市郎先生である。(解説を要約)

               

               

              小林太市郎氏についてはwikipediaで見てもらえば良いとして、芸術を掘り下げる時の基本文献がこの人の著作だと昨年(2016)月刊誌:『選択』の新連載によって知った。そこら辺の内容はBlog2に書くとして、ここでは『藝術の理解のために』小林太市郎著作集1から要点をピックアップ。

               

               

               もっとも藝術のたのしみは、じつは私にとってぜったいぜつめいのたのしみであった。それがなくては一刻も生きてゆけぬような楽しみであった。この真っ暗なわけのわからぬさびしい人生の途中で、自殺か発狂かの破局から私を救ったのは、いつも藝術であった。《略》 

               欲望はなかなか花園をつくらない。かえって地獄をつくりやすい。みたされない愛の欲望が、あくことをしらぬ名誉欲が、金銭欲が、狂おしい権勢の欲が、いかに救いのない地獄となるか、ひとはみなよく知っている。欲望は人を責めくるしめる地獄の獄卒といってよい。しかし藝術にかかると、この無慈悲な獄卒が急に一変して、世にも美しく楽しい花園をつくる園丁となる。(序文)

               

              ■生活と藝術

              どんなにさびいし田舎へいっても、人は模様のある着物をきて、歌をうたい、祭りの太鼓をたたいて、盆踊りを踊っている。そこにすでに藝術がある。《略》人間の生活にとって重要な藝術というものが、はたして何であるか、それは人間の生活の中でどういうはたらきをしているのか、というようなことになると、人はあまり考えない。ただ漠然とそれは生活の美しい飾りであり、たのしいアクセサリーだあると思われるにすぎない。けれどもすこしふかく反省してみると、それがただ無益な飾り、あってもなくてもようようなアクセサリーでなくて、実は人間生活の最も基本的なはたらき、すなわちそれによって人間の生活がささえられているところの、その肝心かなめのはたらきにほかならないことがわかる。(P18)

               

              ■人間とは何か − 欲に手足の付いたもの

              藝術がなんであるかを考えるためには、まず人がなんであるか、人間が本来どういうはたらきをするものであるかを考えねばならぬ。《略》 もっとも人間が何であるか、ということじたいがきわめて難しい問題であるが、たとえば西鶴の『好色二代男』には人間を定義して「欲に手足の付いたる者」といっている。《略》 しかし人間にはただこれらの自然的欲望、すなわち身体の行為をもって充たされる欲望があるのみではない。そのほかに、身体をもって充たしえない超自然的な欲望、すなわち神の欲望、永遠の欲望、絶対の欲望というふしぎな欲望があり、それがまた人をとらえてはなさない。(P19)

               

              ■欲望にはかぎりがないこと、

              飲食を追い、金銭を追い、美女美男を逐い、神を追い、永遠を追い、そうしてついにへとへとになってその一生を終える。欲望が眼のまえにちらつかせる妖しい幻影をとらえようとして、それに引きずられ、振りまわされて、もがき苦しみ、ころび、たおれ、あがき、のたうち、泡ふき、醜態のかぎりをつくして遂に死んでしまうのが人間の運命ほかならない。(P21)

               

              ■欲望の自由な達成をはばむもの

              かように人間の欲望にはかぎりがない。無限性ということが欲望の本質であるにたいして、その達成の道具となる身体の能力はきわめて小さく限られている。ぜんざいを思いっきり食べてやろうと欲望は意気込んでも、もう五六杯も食べれば身体の方でまずまいってしまう。愛人を思いっきり愛しようとはりきって立ちむかっても、身体の消耗はたちまちおこってくる。《略》 そういう身体的能力の制限のほかに、さらにきびしい経済的制限が、欲望の自由な達成を大幅に阻害する。(P26)

               

              ■満たされない過剰欲望の苦悩と藝術の救い

              人間のたいていの病はそこから、すなわち抑圧された欲望から起こるのであって、《略》 限りある身に限りない欲望を担うことが、人間のあらゆる苦悩と病苦と不幸の原因となる。《略》 しかしここにひとつの救いがある。それは藝術である。藝術によって、人は満たされない過剰欲望の苦悩を、ふしぎな享楽にかえる事ができる。(P27)

               

              ■藝術の社会的効用

              しかも藝術の享楽はただ個人にとってたのしいばかりでない。個人がそういう享楽にひたることは、じつは社会にとっても至上に必要で、それがなければ社会はたちまち崩壊する。みなが映画や小説で打ちあい、けんかし、たたかい、旅行し、恋愛するたのしみにひたらずに、そういう欲望をすべて現実の行為で満たしだしたら、いったいどうなるであろうか。もちろん社会生活はたちまち壊滅する。それを外から維持しようとするいかなる制約 − 道徳や宗教や法律や経済のいかなる制約も、あらゆる人間の欲望のこの凄まじい行為的奔出、その烈しい怒涛の勢いまえにはまったく無力となろう。

               

              《略》 小説の中にはとにかく人間の本質的な欲望に訴える事実が語られているからである。《略》 それは仮空であるが、まさしく仮空のゆえに真実を説くことができる。《略》 もっとも小説、ひろく言って文学が未だ発達しない社会においては、宗教や呪術や神話伝説が主にこの機能をになっている。

              《略》 たとえば音楽をみよう。ショパンの燃えるような情熱の曲に身もこころもとろかす人は、もうみみっちい現実の恋愛でその天上の至楽を汚そうとしない。ドピュッシーのほのかな、ふしぎな、はるかな夢のくにからきて魂をやさしく撫でさするような、心霊をやるせなく抱きしめるような、ただようような、ながれるような、ささやくような甘美なメロディーにふかく陶酔する人は、現実の行為がそういう愉悦をけっしてあたえないことを知って、まったく行為を嫌悪する。あるいはベートーベンの英雄交響楽で嵐のような行動の感激にくたくたになった人間は、なおそのうえに行動をしようとは決しておもわない。

               また絵画をみよう。たとえばブラマンクは暴動を起こして官庁に石を投げつける代わりに、絵具を思いきりキャンバスに投げつけて絵を描いたといっている。おかげで彼は投獄されるかわりに、なだかい画家となって悠々と生活した。ルノワールは女体を愛撫するかわりに、筆でキャンバスを撫でさすって幾多の裸婦の傑作をのこした。そして現実の肉体を愛撫するより遥かに深い快楽につねにひたりながら、すこしも精力を損せず、さいごまで若さにみちあふれて長生きを楽しんだ。ドロクロワは一生娶らず、孤高・謹厳の生涯を守ったけれども、製作の中では渦巻く情熱の嵐を奔激させている。

               

              かように欲望にもっぱら造形させて、それを実際的行動に落とさないところに、絵画の藝術もまた成立する。藝術を知らない者はじっさいに行動であばれるから、自らは逮捕されて苦労し、また必ず他人を侵害する。そういうものが10人や100人のあいだはまだしもよい。大多数の人間がみな藝術をしらず、暴動や愛撫の欲望をただちに行動につうして暴れまわり撫でまわるならば、いったいどうなるであろうか。《略》 ほとんどすべての人間がみな本能的に、少なくとも潜在的に藝術家であればこそ、そういう行動過多の破壊が未だ起らず、社会も個人も今日まで健康に溌剌と生きてきたのである。(P109〜114)


               

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                「牢獄」か「窓」か。 感性と思考と言語の関係

                文芸批評がわが国で独立した分野になったのは、昭和の初年ごろであった。それまでは、現在の映画や演劇の批評と同じで、感想批評の域をでなかった。ある文学作品があれば、それを読む読者が確保される。読者は、作品を気ままな姿勢で、気ままな時に読み、<面白かった>とか<つまらなかった>とか、感想をのべる。この感想が、短い一言であることは、作品から受けとったものが、単純であったことを意味しない。ただ、どこが、どう面白かったのか、つまらなかったのか、読者は解析しないだけなのだ。

                単純な感想の中に籠められた複雑な思いを、何とか言葉にしてあらわしてみたいし、あらわしてみなければ、文学作品をわがものとしたことにはならない。そういう内省が感想批評を生みだすことになった。いったん感想批評がはじまると、批評の内部で、また内省がはじまった。その内省は、おおざっぱにいえば、二つの大きな流れに集約された。ある文学作品が、<面白かった>とか<つまらなかった>とかいう感想を誘い出したとすれば、<面白かった>作品や、作品の部分は、何らかの意味で、読み手の共感を誘い出した事であり、<つまらなかった>作品や、作品の部分は、読み手の共感をえられなかったことである。

                これは、どんな読者でも知ってる体験である。読み手は作品を創ることはできないが、作品が、心に共感を呼び起こした、あるいは共感をおぼえなかった、ことを手がかりに、作品を介して、じぶんの内的な世界を表白することはできる。この表白は、わが国の近代批評の大きな流れを生み出しのである。

                だが、もう一つの問題が残された。ある文学作品が、読者の感想を誘い出したとすれば、その感想は、読み手によって、ぜんぶちがってくる。よくかんがえると、これは、かなり不思議なことである。じぶんは、この作品を、優れた作品だとおもったのに、かれは、そうおもわなかった。これは読み手の間に、波紋を残し、議論のまとになってよいはずである。ある一つの文学作品は、ある1人の作家によって創られたことは確かだから、どんな読み手が読んでも、かならず共通の評価がでてくる部分があるはずではないか。その上で、読み手の個性や、資質や、環境に応じて、それぞれの評価の色合いのちがいはあるとしても、だ。ここまできたとき、感想批評は、文学作品を通じて、共通な評価が成り立つ部分と、そうでない部分とを、はっきりさせようという欲求にかられることになった。そのときわが国の文学の文芸批評は別の大きな流れを生み出したといってよい。

                《略》
                文芸批評について、こういうことがわかりかけてきたとき、わたしは、文学の理論に深い関心をもつようになった。いままでなされてきた文芸批評は、どう名づけようと理論ではない。《略》文学に関する理論は、言語の解析からはじまるか、具体的な作品の逐次的な解析からはじまる以外にない、というのが私の達した結論であった。

                《略》
                こういう問題を抱え込んで、さまざま思いをめぐらしているとき、三浦つとむの『日本語はどういう言語か』という著書につきあたった。この著書は、啓蒙的なスタイルをとった小冊子だったが、内容は、きわめて高度で画期的なものであった。その上、文学作品を解析するのに、これほど優れた武器を提供してくれる著書は、目に触れるかぎり、内外の言語学者の著作のうちに、なかったのである。わたしは、抱え込んでいた問題意識に照らして、この著書の価値が、すぐに判った。この著書を、うまく、文学の理論につかえるのは、たぶん、わたしだけだろうということも、すぐに直感された。

                『日本語とはどういう言語か』 三浦つとむ著 巻末 吉本隆明 解説 


                 

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                  新しいヒットの方程式

                  タイトルは「ヒットの崩壊」だけど、もっと前向き。

                  90年代の黄金時代を逆に異常値と呼び、現在を正常と見なす視点。帯にある「新しいヒットの方程式とは?」の方が読後感に近い。小室哲也といきものがかり・水野良樹、TV曲の歌番組担当ディレクターなどへのインタビューを踏まえた考察だから、中身が濃い。音楽業界全体を知りたいと思ったらマストな本なのは間違いない。

                   

                  オリコンの創業者の話は面白かった。オリコンのランキングは曲でなく歌手のランキングと見なされやすく、本のランキングよりも何故か音楽の方が人に焦点があたりやすい。AKBはCD券でCD売上枚数を無意味にしただけでなく、選抜総選挙で人のランキングの話題ももぎとったという指摘は面白い。服部良一がキーマンなこと。彼が1947年に作った笠置シヅ子「東京ブキブキ」が日本のヒット曲の原点なこと。「風街ろまん」が日本のロックの起点になったこと。過圧縮ポップという言葉で、BABYMETALやマキシマムザホルモンなどの音楽を形容していること。色々と読んでいて楽しかったです。東京ブキブキは時代を感じるけど、風街ろまんはすげーな。これが僕が生まれる前の1971年か。90年代の作品といわれても信じてしまうぞ。。

                   

                  ----

                  音楽を好きな人、嫌いな人で二分割するれば、間違いなく好きの側になるけど、好きな人が皆、ヒット曲を求めるワケなない。この態度がマイナーなのは分かっているけど、根本的にはもうちょっとこちらのスタンスをマスに対してアピールしていかないとね。

                   

                  流せる歌が全く無いような状況を、零にしたい

                  これだけなんだよね。どんな人でも、常に歌が寄り添ってくれるワケじゃない。通常の歌じゃ救えない状況ってあるから。水野良樹のヒットの定義は彼の実感に基づいていて凄く良く分かるけどね。

                   

                  ----

                  物語はストーリーだけど、楽曲にはそこまで複雑はストーリーは組み込めない。その分だけ楽曲のランキングが歌手のランキングになるのかな。。

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                    たけしのお笑い・芸術論

                    ■センスはどこで養われるか

                    芸人としてのセンスは教えられるものじゃないけど、育ってきた環境というのは大いに関係がある。

                     おいらの家なんか落語に出てくるような下町の長屋で、そこでいつもおふくろとおやじがじゃんじゃん口ゲンカしていた。うちの母ちゃんの口の速さと笑い話の上手さは、こういっちゃなんだけど、志ん生そっくりだったし。

                     横浜の緑山みたいな戦後の高度経済成長期になって宅地開発されたような、いわゆる新興住宅地に生まれ育った奴とはそこが違う。隣近所と大きさも形も変わらない家がズラーっと並んでいて、満員電車に乗って都心まで毎日働きに出ているお父さんと、料理と園芸が趣味のお母さん、両親ともギャグのひとつも言わないそんな家庭で育った奴が芸人としてのセンスを磨けるかというと甚だ疑問だね。

                     もちろん個人差はあるけど、そんな家に育ったら、そもそも芸人になるとは思わないはず。たまたまテレビで漫才を見て、「これは面白い!」と芸人を目指そうとしても、その時点で大きくハンデがついている

                     《略》

                     それは役者でもアイドルでも同じで、どこか影のあるような奴の方が芸能界に入って伸びる。山口百恵や中森明菜、小泉今日子とか。

                     生まれや育ちはよくなかったけど、でも楽しいことがしたい。自分の手でそれを叶えようという理想に燃えているから、あきらめない。それはやっぱり強い。成功してからその影に引き戻されて、消えていっちゃう奴もいっぱいいるけど。

                     だから金を払って、お笑いや芸の勉強をしようという考え方自体が、やっぱり新興住宅地的な考え方なんだ。中学受験のために揃いのカバンを背負って塾に行く子供と同じ匂いがする。それを芸人がやったらおしまいだ。(P83.太線は引用者)

                     

                    もともとは「批評するならやってみな」 ビートたけしの大正論の記事を見て興味をもった。

                    「特にテレビで顕著なんだけど、それまでは『お客さん』だった人たちが、いつの間にかみんな『批評家』になっちゃった。それもネットの影響かどうかはわからないけど、視聴者が批評家然としてふるまうようになってきたのが、今という時代の特徴。 

                    という文章を見た瞬間にこの本:『バカ論』を買う気になった。一応音楽批評をしていると自認しているし、江藤淳の『小林秀雄』も以前に読んだしね。けど、あちらの本よりもこのたけしの本の方がダイレクトに学ぶ点が多かった。「成功してからその影に引き戻されて、消えていっちゃう奴もいっぱいいる」という部分は深い。どんなジャンルでもそう。スポーツ選手であっても長友は母子家庭だというし、小野伸二もそう。静岡に住んでたときは家の近くの小学校に彼の横断幕が飾っていたし、彼が幼少時代を過ごしていた団地の前がJRの駅だったしね。

                     

                    はっきり言うと、「やりたい仕事が見つからない」ではなくて、やりたくてもそれに見合った実力がないだけ。さっきも言ったけど、おいらも芸人や漫才師が「やりたかった仕事」だったわけじゃない。たまたま偶然そうなっただけであって、本当はプロ野球選手やノーベル賞をとれるような学者になりたいと思ってた。けれど、身体が小さかったり、大学行って「研究者は無理だな」なんて悟ったり、自分にその実力がないことはすぐにわかったからやめた。「やりたい仕事が見つからない」というのは、実は図々しい考え方なんだね。(P.90)

                    こういう意見を学生時代に知っておくとすごく伸びるのだけど、なぜかTVでは滅多に見れない。アイドルがお笑いをやるようになって(そのことに対するたけしの意見がこの本に載っていて凄く興味深い)敷居が下がって、ニュース含めてどんどん手軽に楽しむ方向へTVはシフトしている。

                     

                    批評される側の人が批評に対してまとまった量の意見/文句を言うのは滅多に無いので、だからこそ買ったわけだけど、それ以外の部分で非常に学ぶ所があった。もちろん批評については、個人的にはちょっと違う意見。みんな批評家になったとしても、多数派として安住する人と、少数派でもつきつめて体を張る人は違うから。どちらにせよ根本的には「どんな意見を言ってもいいけど理由はかけよ」だと思う。誰も見ないならそのうち発信するモチベーションも下がっていくから、そこまで気にしてもしょうがないと思う。「批評するならやってみな」は当然といえば当然だけど、そのルールを押し通すと、批評できるのはその分野のNo1だけになるよ。それはちょっと寂しい世界だと思う。もちろん零から生み出す苦悩と、生み出されたものに対してアレコレ言うのは、比べるのがおこがましいほどの圧倒的な差があるのだから、そこはちゃんと踏まえた上での意見表明は大前提。そんな意味では批評側に立つ人も、どこかのジャンルでは「零から生み出す苦悩」を味わうべきだし、それをしないと本人が気づかないところでドンドンおかしくなっていくとは感じてる僕もこの半年は新しいプログラミングパラダイムを打ちたてようと四苦八苦しているので、関数型にせよオブジェクト指向にせよ、誰かが作ったものをあれこれ言っている時はめっちゃ楽だったなぁ、としきりに痛感してる。出来た物を後からなぞると全く気にもならないレベルの地点で非常に苦労する。いつか大学とかで学ぶ場面になったらこの部分なんて3ページにも満たない分量になって、ちょっとでも出来る学生なら鼻で笑うレベルで理解するんだろうな、と昔を振り返りながら思う。使う側でなく作る側になって、やっと苦労する本当の場所が見えてくるね。。

                     

                    この本はタモリ、さんま、所ジョージとかに対してたけしがコメントというか批評をしているのだけど、それが滅法面白い。殆ど同意できるし、それ以上に学ぶ点がある。純粋に素晴らしい。映画について語っている部分も凄く興味深いし、なんやかんやでやっぱりジャンルは広く取る方がいいね。お笑いという意味では、まっちゃんや、爆笑問題の太田、ロンドンブーツの淳とか、色々な人が意見を開陳しているワケだけど、どんなに自分自身に縁遠いジャンルであっても、だからこそ、その中で親和性が有る人を1人は見つけた方がいい。たけしとは顔面麻痺で重なるから。昔、そのまんまのタイトルの本を読んだけど、あの本は今回と違ってあまり学ぶところがなかったなぁ。この本では「テレビが面白くなくなった」と巷で言われていることに対するたけしの意見、またそれだけでなく面白くするためにたけしがやってみたい番組案もあって、それも非常に興味深い。ほんと色んな面でタメになる本。

                     

                    ----

                    最後にひとつだけ。

                     

                    ■自分を探すバカ

                    「自分探しの方法がわかりません」

                    まだこんなこと言ってる奴がいるのか。どっかのサッカー選手が「自分探しの旅に出る」とか言っていたけど、バカがバカを探しに言ってどうするんだ。《略》 「自分探しを」とか言う奴には、ひとことで済む。「お前はそこにいるじゃねえか」それで終わる話。「自分探しの旅」なんてことになると、よりバカが増す。東南アジアやインドなんかをバックパック背負って、「自分を探すために、いろいろ世界を見て回りたい」って、それは”観光”と言うんだよ。いつから「観光旅行」が、「自分探しの旅」になったんだ。

                    大体そういう奴らは、アジアの貧しい国に行って、「子供たちの目がきれい」だとか、「この国に住んでいる人たちは、貧乏だけど幸せそう」なんてことを言う。嘘つけ。そんなこと言いながら、腹の中では「日本に生まれてよかった」と思っているに違いない。この偽善者め。本当にそう思うんだったら、日本に戻らず、その国に骨をうずめればいいんだ。そんなの自分探しでも何でもなくて、「ああ、俺は日本に生まれて良かった」なんていうつまらない自己肯定でしかない。(P.93)

                     

                    笑えるくらいに酷い事言うなーというのが第一印象。けど、世間のアンチ派を代表しているし、この短い文章の中で重要なスタンスは全て網羅されている。猿岩石世代として、どっかのサッカー選手と同じ年の生まれとして、この本の中で唯一、完全に反論したい。まずはこちらの「日本を降りる若者たち」かな。日本という国に生き辛さを感じ、もっと物価の安い国に滞在すること。その是非。この本を読むと、最終的にはたけしが代表するような意見が正しいとは分かる。けど、やっぱり違う面もあって、そもそも「自分探し」というネーミングセンスがダメ。誰がつけたのか謎だけど、こういう学生時代の貧乏旅行は昔からニーズがあった。単なる観光旅行じゃない。確固たる理由があり、やむにやまれずに旅に出るのだけど、なぜそれが必要なのか本人は言語化できてない。そういう言語化できない衝動こそが本当は大事。ここら辺を語るには名著:沢木耕太郎『深夜特急』を読むべきなのだろうけど、未読。。でも、こちらに書いたように、やっとここら辺を表現するための枠組:フレームワークが分かったと思う。ここまで来るとさすがに脱線しすぎなので、続きはBlog2で。

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