Marsha Ambrosius - "Friends & Lovers"


やっと本作の良さが分かってきた。このジャケにビビッてずっと聴くのが遅れてた。デュオの頃からHip-HopとR&Bの中間地点で触れ幅があるけど、今回は殆どR&Bというかメロディーがしっかりしてる。かなり良い曲が揃ってる。けど、ガツンと恋愛は無い。すると僕は上手く聴きこむことができない。だから一言コメントが浮かんで来ない。浮かぶべきレベルの作品なのに。タイトルのとおり女性向けの作品。誰か本作をガツンとレビューしてないかなぁ。

こういう作品を聴いて、すぐにそのまま掘り下げれて、言葉が浮かんでくるような男になりたかった

これが素直な気持ち。それぞれの曲の完成度が高いので、飛ばす曲を選ぶことでのチョイスができない。恋愛ガツンが無いので、選ぶことでのチョイスもできない。だから、まだ曲ごとにもコメントできないのですが。。とりあえず、どれぐらい良い作品かだけは伝えたくて。




Tevin Campbell - "Back To The World"

「悪銭身につかず」を跳ね飛ばした傑作



96年当時、「髪型とヒゲがイヤ」という身も蓋も無い理由で本作を聴かなかった層が一定数居たが私もその範疇。00'S以降に中古で買って一通り聴いて棚に閉まった。本作はそこまでヒットせず、本作をもって第一線から退場した感覚だけど、本作を賞賛する人たちがいるのは分かってた。その理由もおぼろげながらに感じたけど、紹介する意欲が少なくて。。

今回、レビューのリクエストをもらって改めて聴いたけど、ここまで時が流れてやっと分かった。この作品は10%レベルの奇跡なのだと。子供時代にデビューした役者を子役と呼ぶならば、歌手の場合も子歌手と呼ぶべき。マイケルジャクソンを見てもマコーレンカルキンを見ても、幼い頃に成功すると、殆どが成長に失敗する。稼いだお金を巡って両親がぶつかって離婚することも多いし、そもそも一般的な恋愛感情を育む機会が無い。

「悪銭身につかず」と並べて「悪成功身に付かず」
さすがに言い過ぎ? 宝くじもそう。以前になんかの媒体で読んだけど、一億円以上当たった後の軌跡。殆どの人が幸せになれない。「身の丈を超えるお金を手に入れると不幸になる」をシンプルに言ったのが、「悪銭身につかず」 これは人間理解の当然だと思っていいと感じてる。同じように、身の丈を超える成功を手に入れても不幸になる。

00's以降の人たちはテヴィンのことを殆ど知らないと思うけど、90'sで知らない人はモグリ。それぐらに90年代を代表するバブルガムR&Bの歌手であり、デビュー作のTell Me What You Want Me To Doは衝撃だった。あの一曲でスターに仲間入りした。改めて調べるとR&BチャートNo1だったのか。確かに当時はどこでも流れていた。

 




HP改版メモ

今後はBlogの方を入口にしたいので、HPを改版した時はこちらにメモってきます。

■[2017/02] Gerald LevertにPrivate Line、Groove Onを追加
リクエストありがとうございます。追加しました!

 

■[2015/03] Curtis Mayfieldの文章手直し
闇にも良い闇と悪い闇があって、良い闇はRaul Midonが体現している。悪い闇こそCurtisのRight for the Darknessなんだよね。悪い闇に迷い込んだ時に聴くべき曲はちゃんと明示しておかないと。だから、あの文章は丸ごと書き直したい気持ちも大きい。けど、「苦手な歌手を聴き込むにはこれぐらい悪戦苦闘する」のは残しておいてもいいと思ってて。色々と迷ったけど、結局、ほんのちょっと手を入れただけ。そういう意味でも零からサイトを別に立ち上げるべきなのだが、そこまでの時間が取れてないなぁ。今日も今から仕事。日曜も。オイオイ(笑
 




Deep Threat - "Deep Threat" 

若い男は《愚か》で当然


Laurin TaleseのFoolもそうだけど、何故かBlack Musicでは女性がFoolを歌うことが多い。HP時代に「イイ女特集」「ここでは、「アホな男に対してのイイ女」というかなり趣味の入った方向性です。「私はアホな男なんてほっておく」という至極まっとうな意見もあると思いマスが、全ての男はアホですw」と書いた通り、若い男はアホ=愚かで当然だと思っている。真の恋愛はCrazyであり、CrazyとFoolは紙一重。

男性歌手がCrazyと歌うことは多くても、なぜかFoolと歌うことは滅多に無い。その理由は未だにちゃんと分かってない。微妙な語感の問題なんだと思っているけど、もっと深いのかもしれにない。そんな滅多に無い曲の中でこのDeep Threatは最高。2002年の作品だし、En-Wikiにも記載が無い。だけど、Amazonでは新品が9万円、中古で5万円になっている。SoulAtfさんのチャンネルで知ったけど、09:Special Kind of Foolは傑作。

この曲だけで買う価値ある。流石に9万円も5万円も有りえないけど、Mp3vaなら問答無用レベル。他の曲もいいんだよね。04:Tha Blockを聴くとHip-Hopテイストもいけることが分かる。05:Bring It Onも良い。3人組だけど歌える。06:Nasty Girlはタイトル通りの曲。にじみ出る行儀の悪さが最高。08:Controlも期待通りの「押し気」があるしね。05年以降はアホ丸出しの歌手が少なくて失望してた。05年以降のああいう爽やかさは個人的に「エセ」だと思ってしまう。

09を挟んで10:There For Youは落ち着いた手触り。11:Things People Doは深いタイトル。タイトルに見合う曲になっている。ただ声としては内省感が弱い。だから褒めるべきはプロデューサーかも。12:Not Perfectの明るさ。この声の表情は11と違って彼らのリアルだね。

こういう手触りのグループがずっとデビューし続けるジャンルであること。それが僕の望むBlack Music。
 




( )の意味は多様すぎて・・・

"I Can't Get You (Out Of My Mind)"の地平線

 

10年経って気づくこともあれば、20年経って気づくこともある。けど、そんな古いことをわざわざ振り返ることなんて普通はしない。だから僕らは成長が無いのかもね。生きてく中で色々なことが生じて、その経験は確実に成長をもたらすのだけど、忙しい毎日に埋もれると、その成長を実感する機会が少ない。

 

実感できない成長は、自己認識を変えない

自己認識が変わらないと次のステージにいけないことが多いのに、自己認識を変えることが一番難しい。苫米地に代表される自己啓発本は、

 

自己だけで自己認識を変えるいかがわしさに満ちている

もちろん自己卑下の認識ならば変えるべきだけど、卑下しなくちゃいけない事実が過去にあったのだ。それが周囲からの言われ無き中傷だとしても、周囲からの視線が変わらない中で自己認識だけ変えるのは非常に労力が必要。変えるだけの客観的な理由があればいいのだけど、そんなに周囲はポンポン他者を評価しない。内心、認めていても相手にちゃんとは言うことは珍しい。それは自分が相手に接する態度もそう。最近、何気なく後輩に「お、そんなこと思いつくなんて冴えてるね」と言ったら向うは想像以上に喜んでいた。「あれ?俺は仕事をうまく回すために周囲に気をつかっているつもりなのに」と思ったけど、その自己認識が間違っているのだろう。だから、他人の評価以外で自己の成長を証明する必要があるけど、それが難しい。

 

成功を重ねることで、自己認識を変えてきた人は幸せなのだろう

けど、世の中はそんなに甘くない。大切なのは以前の失敗から成長を感じることだけど、以前の失敗には蓋をするのが当然な態度。だからこそ、人は成長が止まるのだろうね。

 

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96年発表の作品で、当時からあれだけ気に入っていたのに全く疑問に思わなかった。2012年にも聴き直したけど何も感じなかった。I Can't Get You (Out Of My Mind)の括弧の意味。当時の理解で満足していたから。そういう意味では「浅い満足」も蓋と同じなのかも。何よりも2001年にスルーした理由。そっちの方が辛い。

 

大学院修士の研究テーマが「質問応答機能のついた要約システム」だったから、当時、括弧の意味論に取り組んでいた。括弧なんて単なる情報補足だと思ったけど全然違う。ちょっと真面目にやればそんなに甘い世界じゃないことはすぐ分かる。先行研究も見つからなく、結構悩んだけど諦めた。結局、文章で括弧を出てきたら括弧の中身は全て削除する処理にしてしまった。。あれから20年。こちらのニュースにあるように全く進歩してない。人工知能が世界を変える? そんな寝言いう前に目の前に括弧の意味論もってこい。というよりも、括弧の意味を解析するステップを見せてみろ。大量データ入れればDeep Learningが解決してくれる? 今でもそう思えるのはある意味幸せ。当時、この曲の括弧の存在を思いつかなかったのが、死角なのかもしれないと思う。この括弧に真面目に取り組んでいたら、もうちょっと壁を破れたかも。

 

 

I Can't Get You (Out Of My Mind)

こんなのは正面から考えれば当然だと思う。括弧の意味論の難しさは文脈依存なところ。括弧撃破は難しくない。ただ、「括弧に深い意味があるかも」と思う態度は必要かもね。

 

I Can't Get You =僕は君を手に入れることができない

I Can't Get You Out Of My Mind =僕は君を心から外すことができない

という愛憎半ばの状態を歌っていると表現したくて()をつけると当時から思っていたけど、今回、どれだけ愛憎があってもベースはやり直したがっているのだと感じた。だから愛憎半ばの表現としての()ではい。半ばの状態にいるのは聴けば分かる。なのにわざわざ()をつけたのは、歌だけでは半ばと分からない人のため? いや、さすがにそういうリスナーは最初から意識してないでしょう。

 

だから、やっぱりこの()は相手へのメッセージだし、歌うということはその歌を相手が聴いてくれることを僅かにでも夢想している。その伝えたい内容こそがOut Of My Mindに()をつけたという意味であり、すなわち「やり直したい」になる。そんな面では、この曲は愛憎半ばでも憎がベースにある人は気に入らないかももね。けど、恋愛で愛憎半ばになって、ベースが「憎」の人っているのかしらん。それは単純に「憎だけ」になると思うのだが。

 

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単に聴き直してもここまでは考えない。今回、コメントで「全く良さが分かりません」まで書いてもらえたので、本気で聴きこんだ。大事なのは振り返る事でなく、そこにかける熱意の量なんだね。そんな意味でも感謝しています。

 




After 7 - "Timeless"

そして最後は透明なToo Lateだけになる


皆が納得する一言コメントは「奇跡は持続している」になるだろう。まさかここまで傑作とは。Babyfaceが発売したアルバムは彼の最高傑作となったし広く世間に受け入れられたから、一年以内に兄弟グループであるAfter7も同じ方向性のアルバムを発表した。

これをポジティブに捉える人もいれば、「二番煎じじゃないの?」と思う人もいる。後者だったので聞くのが遅れました。。。最初の1回目の再生でびっくり。まさかこれだけ完成度が高いとは。92年の映画「ブーメラン」でどっぷりはまったガチLaFaceとして、After7はちょっと手前に活躍していたグループ。傑作のRelfectoinsは95年発表だけどノーマーク。哲章さんが褒めていたからあわてて聴いたのは2001年。90'Sに一度もAfter7を聴き込んでない身なので、一歩引いていた面もある。

歌手人生において21年ぶりの新作というのは奇跡に間違いない。そして、21年間という長さの両端にある本作とRelfectionsの完成度をみれば奇跡は二乗レベル。本作には色んな方向性の曲が収められていて、誰が聴いても気に入るのも素晴らしい。この作品の中でどの曲を気に入るかで、その人の性格まで分かると思う。

そして、ごめんなさい。僕は05:Too Lateなんです。

Black Musicがなくては回っていかなかった日々。
それが遠い過去になった今でも、作品を探して聴きこむ。
どれだけ仕事が忙しくなっても、サイトは更新する。

それは根本的には「今まで聴いてきた中で最高傑作」という曲に光を当てたいから。これだけ聴きこむと、この水準は「ハードルあげすぎ」だけど、それでも年に数曲は見つかる。だからこそ、僕は今でもこのジャンルにいる。こういう出会いがある限り。




具象と抽象の要になる漆黒

日本の至宝:アフリカ黒檀彫刻を集めたマコンデ美術館


マコンデ美術館に行ってきた。高校時代に存在を知った時は既に名古屋から伊勢に移転していたから、19の夏休みに友達を誘って行った。あれから20年。伊勢に行くならば立ち寄るつもりだったけど、一度もそんな機会がなく・・・。これだけ経過したら、このために伊勢まで行く価値があると、秋に思ったので。

詳しいことは公式サイトとwikipediaを見てもらうとして、流石に昔と比べるとて少しは理解度も上がったように思える。絵画や彫刻は現代に近くになるにつれてどんどん抽象的になっている。抽象的になればなるほど基本的に難解になる、というか一目で何をいいたいのか分からない。結局、絵画なら印象画、彫刻ならばロダンや高村光太郎。ここら辺までが一般に楽しめるラインじゃないかな。時代でいくと第二次世界戦後は殆ど、ってそんなに美術史に興味もないけど。こちらの本を読むと、真似でない独自の表現を求めてどんどん具象(=具体的)から離れていく作家の苦労も感じる。

そんな中で、このマコンデ美術館はタンザニアのマコンデ族が作る黒檀彫刻の作品を集めた日本というより世界で唯一の美術館。アフリカを何度も悩ます飢餓をテーマにしたとことん具体的な彫刻から、現代美術に影響されて作った抽象的な作品、そしては彼らの独自の宗教観から生み出される精霊をモチーフにした抽象的と具体的の間に属するような作品が、グラデーションのように揃ってる。 そして、それら全てが黒檀なんだよね。この素晴らしさを、19の時は体感的に感じただけだった。今、やっと言葉で表現できるようになった。

この黒檀がもつ稠密な漆黒が、具体的な作品には抽象性を、そして抽象的な作品には具体性を与える

 



マライアと姉

つい先日、ジョージ・マイケルの訃報について書いたときにマライアを取り上げたが、今日のニュースでも。

 

姉が瀕死状態なのに一切の支援をせず……マライア・キャリーが抱えるきょうだいとの確執

 

これを読むと複雑な問題で、マライアだけを悪いと言えない事が分かるね。

 




小林太市郎藝術論要約

 

昔は美学をやっているといえば、それだけで芸術家、文士、哲学者からバカにされた。戦後、新設の文学部に美学科の設置を見合わせた大学(北大、阪大等)がある中で、神戸大学は逆に「芸術学科」の名称のもと新しい学問の誕生を期待した。それに答えたのが小林太市郎先生である。(解説を要約)

 

 

小林太市郎氏についてはwikipediaで見てもらえば良いとして、芸術を掘り下げる時の基本文献がこの人の著作だと昨年(2016)月刊誌:『選択』の新連載によって知った。そこら辺の内容はBlog2に書くとして、ここでは『藝術の理解のために』小林太市郎著作集1から要点をピックアップ。

 

 

 もっとも藝術のたのしみは、じつは私にとってぜったいぜつめいのたのしみであった。それがなくては一刻も生きてゆけぬような楽しみであった。この真っ暗なわけのわからぬさびしい人生の途中で、自殺か発狂かの破局から私を救ったのは、いつも藝術であった。《略》 

 欲望はなかなか花園をつくらない。かえって地獄をつくりやすい。みたされない愛の欲望が、あくことをしらぬ名誉欲が、金銭欲が、狂おしい権勢の欲が、いかに救いのない地獄となるか、ひとはみなよく知っている。欲望は人を責めくるしめる地獄の獄卒といってよい。しかし藝術にかかると、この無慈悲な獄卒が急に一変して、世にも美しく楽しい花園をつくる園丁となる。(序文)

 

■生活と藝術

どんなにさびいし田舎へいっても、人は模様のある着物をきて、歌をうたい、祭りの太鼓をたたいて、盆踊りを踊っている。そこにすでに藝術がある。《略》人間の生活にとって重要な藝術というものが、はたして何であるか、それは人間の生活の中でどういうはたらきをしているのか、というようなことになると、人はあまり考えない。ただ漠然とそれは生活の美しい飾りであり、たのしいアクセサリーだあると思われるにすぎない。けれどもすこしふかく反省してみると、それがただ無益な飾り、あってもなくてもようようなアクセサリーでなくて、実は人間生活の最も基本的なはたらき、すなわちそれによって人間の生活がささえられているところの、その肝心かなめのはたらきにほかならないことがわかる。(P18)

 

■人間とは何か − 欲に手足の付いたもの

藝術がなんであるかを考えるためには、まず人がなんであるか、人間が本来どういうはたらきをするものであるかを考えねばならぬ。《略》 もっとも人間が何であるか、ということじたいがきわめて難しい問題であるが、たとえば西鶴の『好色二代男』には人間を定義して「欲に手足の付いたる者」といっている。《略》 しかし人間にはただこれらの自然的欲望、すなわち身体の行為をもって充たされる欲望があるのみではない。そのほかに、身体をもって充たしえない超自然的な欲望、すなわち神の欲望、永遠の欲望、絶対の欲望というふしぎな欲望があり、それがまた人をとらえてはなさない。(P19)

 

■欲望にはかぎりがないこと、

飲食を追い、金銭を追い、美女美男を逐い、神を追い、永遠を追い、そうしてついにへとへとになってその一生を終える。欲望が眼のまえにちらつかせる妖しい幻影をとらえようとして、それに引きずられ、振りまわされて、もがき苦しみ、ころび、たおれ、あがき、のたうち、泡ふき、醜態のかぎりをつくして遂に死んでしまうのが人間の運命ほかならない。(P21)

 

■欲望の自由な達成をはばむもの

かように人間の欲望にはかぎりがない。無限性ということが欲望の本質であるにたいして、その達成の道具となる身体の能力はきわめて小さく限られている。ぜんざいを思いっきり食べてやろうと欲望は意気込んでも、もう五六杯も食べれば身体の方でまずまいってしまう。愛人を思いっきり愛しようとはりきって立ちむかっても、身体の消耗はたちまちおこってくる。《略》 そういう身体的能力の制限のほかに、さらにきびしい経済的制限が、欲望の自由な達成を大幅に阻害する。(P26)

 

■満たされない過剰欲望の苦悩と藝術の救い

人間のたいていの病はそこから、すなわち抑圧された欲望から起こるのであって、《略》 限りある身に限りない欲望を担うことが、人間のあらゆる苦悩と病苦と不幸の原因となる。《略》 しかしここにひとつの救いがある。それは藝術である。藝術によって、人は満たされない過剰欲望の苦悩を、ふしぎな享楽にかえる事ができる。(P27)

 

■藝術の社会的効用

しかも藝術の享楽はただ個人にとってたのしいばかりでない。個人がそういう享楽にひたることは、じつは社会にとっても至上に必要で、それがなければ社会はたちまち崩壊する。みなが映画や小説で打ちあい、けんかし、たたかい、旅行し、恋愛するたのしみにひたらずに、そういう欲望をすべて現実の行為で満たしだしたら、いったいどうなるであろうか。もちろん社会生活はたちまち壊滅する。それを外から維持しようとするいかなる制約 − 道徳や宗教や法律や経済のいかなる制約も、あらゆる人間の欲望のこの凄まじい行為的奔出、その烈しい怒涛の勢いまえにはまったく無力となろう。

 

《略》 小説の中にはとにかく人間の本質的な欲望に訴える事実が語られているからである。《略》 それは仮空であるが、まさしく仮空のゆえに真実を説くことができる。《略》 もっとも小説、ひろく言って文学が未だ発達しない社会においては、宗教や呪術や神話伝説が主にこの機能をになっている。

《略》 たとえば音楽をみよう。ショパンの燃えるような情熱の曲に身もこころもとろかす人は、もうみみっちい現実の恋愛でその天上の至楽を汚そうとしない。ドピュッシーのほのかな、ふしぎな、はるかな夢のくにからきて魂をやさしく撫でさするような、心霊をやるせなく抱きしめるような、ただようような、ながれるような、ささやくような甘美なメロディーにふかく陶酔する人は、現実の行為がそういう愉悦をけっしてあたえないことを知って、まったく行為を嫌悪する。あるいはベートーベンの英雄交響楽で嵐のような行動の感激にくたくたになった人間は、なおそのうえに行動をしようとは決しておもわない。

 また絵画をみよう。たとえばブラマンクは暴動を起こして官庁に石を投げつける代わりに、絵具を思いきりキャンバスに投げつけて絵を描いたといっている。おかげで彼は投獄されるかわりに、なだかい画家となって悠々と生活した。ルノワールは女体を愛撫するかわりに、筆でキャンバスを撫でさすって幾多の裸婦の傑作をのこした。そして現実の肉体を愛撫するより遥かに深い快楽につねにひたりながら、すこしも精力を損せず、さいごまで若さにみちあふれて長生きを楽しんだ。ドロクロワは一生娶らず、孤高・謹厳の生涯を守ったけれども、製作の中では渦巻く情熱の嵐を奔激させている。

 

かように欲望にもっぱら造形させて、それを実際的行動に落とさないところに、絵画の藝術もまた成立する。藝術を知らない者はじっさいに行動であばれるから、自らは逮捕されて苦労し、また必ず他人を侵害する。そういうものが10人や100人のあいだはまだしもよい。大多数の人間がみな藝術をしらず、暴動や愛撫の欲望をただちに行動につうして暴れまわり撫でまわるならば、いったいどうなるであろうか。《略》 ほとんどすべての人間がみな本能的に、少なくとも潜在的に藝術家であればこそ、そういう行動過多の破壊が未だ起らず、社会も個人も今日まで健康に溌剌と生きてきたのである。(P109〜114)


 




今年もよろしくお願いします

 

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

勝手に恒例気分の新年の富士山の写真ですが、12/30に足柄山の金時山に登ってきたのでその写真。Angieのところで書いた日本1位2位の写真は天気が悪くて仙丈ケ岳まで行けなかったので。。その代わり、今までで一番綺麗な夕日が撮れたので置いておきます。

 

 

昨年は新作で取り上げたのはJavierとSlimとR. Kellyのクリスマスアルバムのみ。JaheimとSilkとマクナイトは簡単なコメントだけか。全部で25投稿なので、今年も同じぐらいのペースで出来ればと思っています。今年発売の作品で他にもご意見あれば、こちらのコメント欄におねがいします。

 

昨年は色々と大きな決断をした一年だったから、今年はその影響が出てくると思う。今までもここにHHAIを書いていたけど、R.が発売された98年のときは両極端だと思っていたけど、思った以上に両者が近づいてきた。幾ら此処がBlack Musicのレビューサイトで、もっと大きな視点でいっても芸術分野に関する個人コメントであっても、Blog2にも書いたけど芸術を客観的に定義する方法がまだあるのかもしれないと、思い始めてる。

 

以前に感動を若干クリアにしたけど、このレベルならばまだ芸術分野であってコンピューター分野には来ない。階段はアナロジーであって、建物についている階段じゃない。ストレートに書けば「Soulの階段」だけど、登る行為、下がる行為、それらによって発生する事まで考えると途端にドツボ。ここら辺をクリアにしていけば、こっちの世界に持ってこれるけど、どうせ美まで射程に入れるならば、聖と性も入れるべきだと思っている。それがMarvin Gayeが代表するBlack Musicの世界。男で性から聖にいけるのはLose Controlだけだと思っていて、あの手触りの曲がもっと増えて欲しいと思っているのは事実。そりゃ中坊のころからShaiのTogether Foreverも好きだけど、あれは最初から性要素(SEX感)が無くて、聖(清き正しい相手への思い)だけだったから。

 

 

今、94年のEx-Girlfriendというグループの作品を聴いてます。全く知らないしEn-Wikiみてやっとフル・フォースが作った妹分グループだと分かった。そもそもフル・フォース自体が00'S以降の人は知らないだろうに。グループ名自体が「元カノ」だから、「こんなグループ名つけんなよ」ぐらいの気分だし、アルバムの最終曲も13:X In Your Sexとか狙いすぎ。ただ、こういうアホな名前をつけるグループの方が、傑作の時は傑作なんだよね。03:Your For Meは緑にしたい。05:I Want Youも良い。なんていうかな、ケバすぎる女性がふっと見せる素の表情のような魅力はある。昔は、こういう良い意味でアホなグループが多かったのになぁ、と懐かしくなる部分もある。

 

昨年末はゴスペルと神概念について少し考察したけど、今年はもっとガツンと行きます。

その分だけ、ここに全く書かなくなるのか、ガンガン書くのか、今はさっぱり分からない。

ただ、今までは半分ずつの労力で両者をこなしていたけど、今年は重ねる。というか重なった。というかこれ以上、別にしておけない。

そんな感じです。




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